大地震があったので…
地震発生から二日経ちました。普段見ないTVですが、今回ばかりは見ずにいられません。が、映る映像は、想像を絶するものばかり。東北の被災地の方々の不安、恐怖、心痛は非常に大きいことと思います。それでも、望みを捨てず、頑張ってください。早く救出、復旧の手が届きますように!
3月11日の東北太平洋沖地震。私は、その時会社にいました。ビルの7階なので、それなりに揺れましたが、物が多少落ちたくらいで、何も被害はありません。私個人に限れば、過剰な恐怖と連続する余震で気分が悪くなっちゃいましたが、少し休ませて貰えたので、後は平常どおり仕事してました。なので、私は無事です。大丈夫です~
ただ、報道をご覧の方はご存知と思いますが、その日、首都圏の交通機関は麻痺してしまったため、私も勿論帰ることが出来ず、そのまま会社へ残り、気もそぞろながら仕事していた次第です。人によっては歩いて帰ることを選んだ人も多く、私がいたフロアは三分の一程だったかな?残った人は。しかし、歩いて帰ろうとしたけど、途中で交通止めに会い、引き返してきた人もいたので、この陸の孤島的環境から徒歩で脱出するのは、結構厳しかったと思います。
非常食として、ごはん一袋、缶入りパン二缶、ペットボトルの水二本が支給されたし、インフラ面では異常が無かったので、会社にいる限り寒さに震えることなく、飢えることなく、情報もネットから得られるという恵まれた環境にいました。なので、残った人とおしゃべりしたり、缶入りパンを食べたり(黒豆パン、結構美味しかったです)、合間に仕事したりして、深夜まで会社にいました。
テツさんとは、夕方連絡が取れました。テツさんは自宅とのことで、自宅は無事、ただし停電している、車で迎えに行くからそれまで会社にいるように、その方が安全だから、と言われ、上記のとおり夜中まで過ごし、到着したテツさんと一緒に自宅へ帰ることが出来ました。渋滞が激しく、いつもの3倍くらい時間をかけて帰り着いたのですが、その頃には電気が復旧していたので、寒い思いをせず済み、これまた助かりましたね。
今回は、怖い思いをしたけれど、ダメージを殆ど受けなかった分、首都圏にしては私はラッキーな部類だったと思います。
そして、帰宅して、真っ先にTVを見たのですが、津波の映像はショッキングでしたー;目を疑うとは、こういうことを言うのだと思います。なんたって、イメージしてた「津波」と全く違うものだったんだもの。津波というより、洪水、もしくは海に浸食されてゆくかのような映像。「命が助かっただけでも…」って真実味有る言葉だなぁと、映像見ただけながらも感じました。
私が住んでいるところも海に面しています。そして、三方を山に囲まれ、隣接地へ行くには、どこもトンネル(又は峠)を超えなければなりません。つまり、万が一の時には、津波の被害に遭い易い環境なんですよ。なので、あの映像を見て心配になり、今更ですがハザード・マップを確認しちゃいました。後、避難場所も。とりあえず、忘れないようにしないと。
地震後、幸いにも二日間は休日でしたが、明日からはまた通常運転。ちょうど繁忙期のため、連日12時間を超える勤務状態ですが、やることはやらないといけないので、引き続き仕事してきます。その上で、被災地に力になれることをしたいと思います。多分、会社で取りまとめてくれる募金もあるだろうし。
とまぁ、ひとまずこのような状況だったので、久々に出てきました。また、お休みいたします~