泣く子には勝てぬ
今日は朝一と言っていいほどの時間に、サブリーダーのYさんに呼ばれました。もちろん用件は、昨日のこと。リーダーから伝わったのですよね、当然。
ここでのお話は、なんと言うか…棚から牡丹餅ならぬ涙から牡丹餅?
以前から少しそういうお話はあったのですが、仕事の質を上げた内容のものをやって貰いたいと思っているが、やる気があるのか?というものでした。少し社員さんの仕事に近くなるものだと思ってよいようです。Yさんからは、有難くも私のことを高い評価をしていると、折に触れ言っていただいていたのですが、自分としては自信が無くその言葉を信じきれない部分がありました。だけど、昨日の涙が後押しをしたにしろ、具体的な話を持ってきていただけた、という点で、あ、私、ここにいていいんだ!とようやく思えた気がします。ただ、実際そう動くためには、派遣の契約内容の変更も絡むので、すぐには難しいんじゃないかなぁ、という不安はありますが。また、それ以前に、リーダーとのYさんとの思惑も、微妙に一致していないように見受けられ、本当に今日話していただけた内容の仕事のうち、どの程度可能なのかなぁという気もしています。
それでも、Yさんからはこれから先の仕事の展望における希望をいただき、再度リーダーとの話し合いの中では、すぐに改善できる部分は改善したし、これからも考えるべき部分は考えてゆくとの回答をいただきました。実際、昨日私が泣きながら話したのが午前中、で、その午後一から早速状況が変わった素早さを考えると、本気で対応してくれたんだと認めざる得ないものがありました。
落ち着いて考えてみると、泣くほどの悲惨な状況という訳ではなかったのです。でも、辛かったのも本当。
「手が開いたんですが、することないですか?」
同じアシスタントからこういう問いかけをされ、社員の方に出来ることがあるかを確認し、それでも何も無いということが多かった。だから、いつしか尋ねることすら諦めて、自分達で出来る範囲のことをしてきた。それは、とても無駄というか誰からも望まれていない仕事であり、やって意味があるのかどうかすら疑わしいもの。それでも、そういうものしか私達には選択がなく、結果私がやろうと指示をする形で、今の仕事の流れが出来てしまった。
すごく虚しかったんです。何で、することもないのに、ここにいるんだろう?って。全く無いわけじゃない。だけど、かなり時間を持て余すほどには暇だった。私個人にはすることがあっても、後の二人にはすることが無い。そんなことも頻繁だった。その対策のために、上記に書いた意味の無い仕事を生み出した。これもすごく虚しく、しんどかった。
そもそも、私が何で仕切っているの?という疑問もあったし、何で自分だけこんな気苦労をしてるんだろう…三人立場は同じなのに、という不満もあった。
契約更新という契機に加え、35の誕生日を前にして、このまま派遣でいいのかという焦りもあった。北海道旅行前に面談の日取りが決まり、それからずっとグルグルと考え始めた。旅行中も、同行者が会社の人たちばかりだったのも悪かったのだろうと思う。すぐ連想しちゃうから。ずっとグルグルしていて、神経は尖るばかり。しかも、6月から新しい営業さんになったというのに、この人だけと会うのは初めて。新人っぽい人というのもあって、余計不安を煽られ、面談そのものに凄く緊張した。その中で話し始めたら、どんどん感情が高まっていき、溜まっていたものが溢れるかのように、不満なことを吐き出す羽目になった。止まらなかった。そして、営業さんとの話を踏まえてのリーダーとの面談では、より感情的になってしまった。自分の存在価値、仕事をすることで存在を許されるという考え方を前面に出し、泣きながら訴えた。(あ、ちょっと嘘かも。泣き始めたらまともにしゃべられなかったから)
この会社で働き始めた頃は、約2年ぶり(?)くらいの仕事と通勤にいっぱいいっぱいだった。会社に慣れるのと、仕事に慣れるのにいっぱい。時間の余裕があったのもこの頃のこと。でも、それは最初だししょうがないと思えていた。
慣れ始めた頃、もう一人いたアシスタントがいなくなり、独りでアシスタント業務を全てすることになった。一人でするにはちょっとキツイかな、でもなんとか出来なくは無いな、と言うよりするしかないよな、という気持ちで頑張っちゃった。
そして超繁忙期突入。と同時に新人1号の姐さんが採用され、彼女に教えつつ、業務をこなしていった。この時期のことは、ホント記憶に残っていないほど、仕事尽くしだった。
繁忙期が落ち着き始めるかなという4月に、新人2号の子が採用となり、リーダー念願のアシスタント3人体制がスタート。落ち着き始めたとは言え、まだ余波が残っている時期。私はそちらに集中し、2号ちゃんは姐さんにお任せ状態。それでも、まだ来て1ヶ月の彼女に全ては無理で、3月ほどではないにせよ、指導しつつ業務もこなす日々。で、この辺から私のスタイル、私のやり方、私の指示で二人が動くようになってしまった。まぁ、一番の先任者なんだから、多少は仕方ないかと諦めていたのもこの頃。
だけど!
本格的に3人体制が動き始めると同時に、仕事の波も引き、一気にさぁどうしよう?何しよう?の世界に入っちゃった。また同じくして、いくつか今まであったスタイルを変更したりした部分があり、そのことで軽く社員さんと揉めたりもしたのがこの頃。この時だけではないけれど、この問題でも「派遣さんは考えなくていい。言われたことを言われたとおりにしていればいい」的発言を受け、派遣という立場の理不尽さにすごく凹んだし、このことは根強く私の中に澱と化してしまった。
かと思えば、逆にアシスタント同士の中では、私が何事も指標となるかのような雰囲気になってしまい、一応相談しつつも決めるのは私、みたいな状態に。Yさんが一応派遣社員の取りまとめ役のはずなのですが、この方放任主義なので、こちらから問題定義をすれば当然真剣に取り合ってくださいますが、普段の仕事については指示もなければ、監督もされないままでした。(いえ、監督、監視、管理されたい訳では無いですけどね。ただ、最低限、今何を私達がやっているかくらい把握してくれてもいいんじゃないのかなー?とは思います)
Yさんからも指示が無い。アシスタント同士の中で、私が率先して指示を出す。
ん?これっておかしくない?
私、ただの派遣なのに。
在籍暦は数ヶ月長いけれど、二人と同じ立場なのに。
何で、これが終わっちゃったら、今度はこういうことをして時間を稼ごうとか、暇対策を私が考えているんだろう?
と言うか、その仕事ってホント意味無いよね。
誰にも望まれていない作業だよね。
自己満足でしかないのに、なんでそんなことに時間を費やさなきゃいけないの?
そもそも、何度も何度も「2人でやっていたときでも余裕があった。これが3人になったら、何もすることの無い時間が多くなってしまう」と訴えたのに、返答はいつも「いや、することはあるから大丈夫」だった。
それって嘘じゃない。
じゃあ、二人だってもう数ヶ月経って、仕事の大半が出来るようになっているんだし、2人体制でいいんじゃないの?
だったら一番古い人間から抜けるのが筋だよね。
私、いらないんじゃない?
それだったら、もっと仕事の需要のある会社を紹介してもらうか、いっそ正社員を目指して転職活動でもした方がいいんじゃないかなぁ。
だって、私、もう35になるし。
いつまでも派遣でいるのは、しんどいし。
てな感じに暗ーく暗ーく思考が展開し、どんどんどんどん下降していった。そして、不満と不安が一気に暴発。それが今回の件かな。
なんと言うか、そういう思考、行動を止めようとする自分もいるんです。でも、その自分は暴走している自分を止めきれないほど弱いんです。心理士さんにもこういうお話をしたのですが、「そういう自分の気持ちを冷静に追える理性的な部分はいいことだと思います。そういうところを大切にして、止められるようになるのがこれからも目標になるんじゃないでしょうか」と言われまして、まさにその通り!…ですよね。
今回の件、色々反省すべき点は多いのですが、「派遣の人から『仕事が少ない』と言われたことが無いので、非常に驚いた」と、リーダー及びYさんを言わしめてしまったインパクトはあったようで、かなり強引ではありますが、私が望んだ方向に近づいているようです。後は、自分で望んだことなのだから、ちゃんとそれに応えられるように努力するしかないですね。
「仕事をもっとしたい」と言いながらも、じゃあ自信があるの?と聞かれれば、あまり無いですとしか答えようが無いのが現在の私。ただ、出来ることを増やしたいから、頑張りたいとは思っています。
出来なかった出来なかった出来なかった…という念は未だに私を縛っています。それを少しでも解くように、解けるように、「出来る」「出来た」を増やしたい。方法は間違っていたと思うけど(だって泣き落としだから)、方向は修正できた気がする。ただし、これもまた強引な手で得たものですけどね(苦笑)
「泣く子には勝てぬ」と言う意味で仕事を増やしてくれたのか、評価されているという意味で増やすことを決めてくれたのか。そこは海千山千のおじさま達なので、素直に教えてはくれないけれど、ここにいていいって思わせてくれたので、今はそれでヨシとします。
と言うことで、この問題もひと段落。営業さんにも継続のお願いをしました。なので、9月から無職にならずに済みます!