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おめでとう50,000hits

ずーっと日記は放置していたけれど、こっそりひっそりあちこちのブログにはお邪魔していました。なので、こっそりかえるちゃんの50,000hitsも楽しみにしていたりしました(笑)

で、そろそろかなぁ~?と訪れた昨夜。

ご覧の通り、後一歩遅かったよ。あ~ぁ、残念。

ハーボットにもカウンターがついていて、しょっちゅうキリバンのお知らせをハルがしてくれるせいか、他所のカウンターもお知らせがあるとつい気になっちゃう方なのです。お知らせがないと気づかずスルーしちゃいがちなんだけどね(苦笑)

と言う訳で、かえるちゃん、50,000hitiおめでとう!

コメントしようかと思ったけど、せっかく画像を保存したので、そちらを披露してみました。ピッタリ50,000hitsだったら、もっと格好ついたのに。残念無念です。

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えー、私自身の近況はと言うと、一応冷戦は終結いたしました。ちょっと前に終わらせて、今は普通にしています…お互いに(笑)根本的な問題は、まぁ、まだまだなんだけど、一番消耗したことが無くなったので、少し気は楽になったかな。

一時の激情も治まって、でも気持ちは変わらなくって…。気が付いたらGWに突入。考えるべき事、動くべき事をはき違えないようにしないとね。

身体は正直?

衝撃の事実。この2週間で、2㎏落ちました。…2週間で?食べても、家からでないで、ゴロゴロしていたはずなだから、太るのは覚悟だったのに何故?一応、ちゃんとご飯、食べていたのにな。料理してたし。

これが冷戦のツケってものなのかな?意外と堪えている模様。あ~ぁ。

閑話休題

いまだ冷戦中だろうと、現状が硬直中だろうと、欲望は沸くわけで…

目に入ってしまった新聞記事。「スペイン国立バレエ団公演」。今秋の9/28~10/6に来日するのですが…もう、もう、行きたくてたまりません!来日公演の度に観に行って、もう何度目になるだろう?ここの「ボレロ」は情熱的で、何度観てもも血が沸き立ちます。

あぁ、観たい。でも、今年は行くとしたら一人だし…。(いっつも一緒に行っていた子が、この夏から留学するので。)しかも、相変わらずチケット高いし。でも、観たい!

文楽もそうですが、舞台の醍醐味は、観た後の興奮を伝え合うこと。2年に1回しか観られない舞台なら、当然その度合いは高まります。だから、余計同行者が欲しくてたまらないのだけど、今回は間違いなく一人。それが、一番のネックかな。(いえ、チケットの値段も問題ですが。バレエって何でこんな高いんだ!?)

誰か一緒に行ってくれないかなー?手配は全部、私がするけどなー。(相変わらず遊びには積極的…・苦笑)

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【追伸】
Aさま。コメントありがとうございます。お返事はもう少し待ってくださいね。

勝手な見込み

私だって、いつまでもこんな不毛な神経戦を続けたいわけ無く、ともかく「退職」の二文字を、テツさんに付け付けるまでが山場だと思っています。その最難関が、明後日の主治医による通院。

私自身は、へろへろ~と気にせず通っていたのですが、実はテツさん、割と不信感を抱いていたそうです。何故か?そりゃー、自分とこの医者と、治療方針がえらい違っていれば、どうなってるの?くらは思うでしょう。かつ、自分が、薬を飲みながら仕事を出来ているのに、対して私はあっさり休職。その上、どんどこ薬は増えていく一方。

自分の先の目処も立ってきたし、そろそろ子供が欲しいなぁ~、と浮かれているところに私の不調というか、悪化(?)、薬増加継続?、なんじゃそりゃ、って気になっていたようです。えぇ、あの日に限らず、何度と無く責められていましたよ、私。

そして、仕事のこと。テツさんはあくまでも私を復帰させたい模様。福利厚生、って点では公務員並ですから。10月から一気に変わるってコトもないでしょうし。何より、鬱患者がここ数ヶ月で膨大に増えているのが現状。ならば、扱いも慣れているデショ、と23区並の発想をしているけど、私から見ると、それはどーかな?って感じ。地方ではやっぱり、ポピュラーってほどじゃなさそうだけど…?

もう、ホントいい。過去のしがらみからすっかり足を洗いたい。そこまで思わされる過去の仕事があって、休職中のゴタゴタがあって、もうどうにもならないところに来ている気がするから。心を殺せば、バカになれば復職は出来るかも知れない。でも、その時には、私の席はない。コレ、確実。同じ席には無いだろうなぁ。昔の古巣にあれば上等、って感じ?でも、現場離れて7年以上経つから、まさしく1からのやり直し。しかも、振られる仕事は、面倒ごとって決まっているしね。あまり割はよくありません、復帰するにも;

転勤。違う環境で一から。全く考えなかった訳じゃない。けど。どこに配属になるかによって、ホントこれは左右されるから。我が儘言えば、ド田舎には行きたくない。不便だから。済んでいるトコも不便でしょうがないのに、更に不便なトコへとばされるのは、ちょっとキツイなぁ。

[理想]
バシッと「退職辞令」を見せつけつつ、転職先のリストをびらーんと見せつける。どうだ、私だって、これくらい出来るんだ!というのを、テツさんにばーーーーっんと突きつけたい。それで終わりにしたいなぁ。

色々、そう、いろいろいろいろゴロゴロしているうちに、今まで積もり積もった不満を思い出したよ。テツさんがウチの親に会ってくれないとか(ホント顔を出さないので、「お前、ホントに結婚したのか…?旦那さんが顔すら見せないなんて、そんな筋の通らないことあるか!」と何度怒鳴られたことか。結婚式以来、両親がウチに泊まりに来たときすら、顔を最後まで出さなかったテツさん。板挟みで、あの時は胃が痛かったさ。ま、今では、ダンナよりダンナの両親に可愛がって貰ってます、と強調して誤魔化していますが;今では、もうすっかり諦めムードのようですけどね。幻の婿さんとして。いいけどさー)、家にお金入れない処かmegmeg金融に借金に来るとか、子供いるいらないもその日によって言うこと違うし…。そんな感じに、丸10年付き合ってると、ホント埃はいくらでも出ます。きっと私にもね。

そんなことウジウジ考えていると、リセットして新しい道を歩きたいな、という欲が出てきます。が、そのためには、まず退職をしないと。退職をするためには、主治医を攻略しないと。明後日が決戦の日。めちゃめちゃ怒られるのは覚悟で行きますが、…うーん…しんどいなぁ。

でも、ケリをつけたい。なぁなぁで済ますのでなく、パシーッンと突きつけたい!ふんっ、どうだ、これだけやったぞ!みたいな、ね(笑)

テツさんはね~、大変弱気です。1度携帯にメール貰いました。

「…話しかける勇気がないの…(略)」

……………あー、そうですか。じゃ、話しかけないでね。私としては、そう思うしかなく、それ以降ぱったり途絶えています。が、何故か、炬燵の上の“お供え物”は増えています。ミネラルウォーターでしょ、いちごでしょ、プリンでしょ、中華三昧(袋ラーメン)でしょ…。か、陰膳のつもりか??当然、一切手を付けていません。

ついでに、私が作ったモノはキレイさっぱり無くなっていっています。作ったご飯。お皿に盛ってあろうと、お鍋に入れっぱなしだろうと、キレイさっぱり。いいんですけどね。(後で食べるつもりだったパスタは惜しかったかな、と・苦笑)

そんなこんななすれ違い生活。意外と出来るもんだなぁ、と感心するばかり。普通のサラリーマン相手じゃ、無理だっただろうけどね。後、無駄に広い家だから。(いや、だって、二人で済む予定じゃなかったし。)

山場は退職許可が取れるかどうか。それが決まらなければ、テツさんに会う気はありません。会った途端、ムカムカすること間違いなしなんだし、だったら一つぐらい、ドダッ!と見せられるモノが欲しい。

状態としては、暗ーくマイナス方向へ考えは向かいますが、やるべきことに対してテンションは上がっています。それは薬断ちしてるからか、緊張しているからか。

少し前は、迷うことの時間が欲しかった。迷うという選択肢をようやく受け入れたから。今は、選んだコトをどのように遂行するかだけを考えている。この際だから、残って復職したら、もっと安定した生活のままいられるとか、サポートは万全なのに、とかは考えない。…戻れない身体な以上、それは無駄ってものだから。

新しい道で、ちゃんと勤まるかは分からない。でも、それは誰だって同じ。甘ちゃんかもしれないけれど、同じスタートラインに着きたい。年齢的にも、それそろラストチャンスが近いんだし。

1997年。入省して10年。テツさんと付き合っても、…一応10年?ま、10年目(正確には11年目)の反乱ってことで。

今の願いは、ちゃんと退職が受理されること。そして、退職の手続きがスムーズに進むこと。若いからといって、書類はわんさかあるし、今は各職場で処理をしていないので、絶対ミスや見落としが有るはず。自分が担当していたところは、皿の目のようにしてチェックするつもりだけど、給与(退職金)関係だけはノータッチだっだからなぁ。そこが一番心配。それも、まず第一関門を突破してからの話。

通院は明後日。主治医にどう説明して、どうしたいのか整理しておかなきゃ。例えテツさんが不信感を持っていようとも、私の主治医はあの先生一人だから。タイミングがあったら、産業医の先生のトコへも、行けたらいいなぁ。お世話になりっぱなしだし、あの人となら話がしたい。

明後日。11日。その日のことがちゃんと書けますように。記録として残しておけますように。

 

【私信】
会ったことを後悔はしていない。
むしろ、すごく楽しくて、時間を忘れた。
もっと、もっと、もっと話したかった。
ただ、ガラス細工扱いはして欲しく無い。
それだけなんだよ。

口火

となった言葉は、他所から聞くと、きっとたわいもないモノ…とスルーされるだろうセリフ。

『俺たちに子供が出来たら、こんなこともするんだろうね。』

あの日の飛行機は、期待の到着から25分遅れ。更に、天候の関係で、羽田到着は到着予定時間を1時間超えていました。ウチに帰るには、かなりギリギリの時間。全てを終わられホッとした面からか、機内で既にブルブル状態だった私。飲み物サービスをいただいて、薬投入。その追い打ちをかけるように、羽田に近づく従って揺れる機体。…初めて、飛行機であんなに酔ったよ;

荷物受け取るため、手荷物受付所に着いたときはヘロヘロ。ガラス窓の向こうにテツさんと見つけ、一番に電話をしました。

「もうダメ。薬飲みたいから、水、買っておいて。」

これって理不尽なお願いですか?テツさんの返答は、

「お前なぁ、今、そんな時間有ると思っているのか?帰るのにギリギリで、時計と睨めっこしているんだぞ!」
…思いっきり怒鳴られました。もう、そっから一気に下降状態真っ逆さまです。

帰れなくなるのは確かに困る。でも、二人一緒なんだから、その辺は何とでもなるんですよ。ま、後から、テツさん自身もぶつくさ同じコトを言っていましたけどね。行けるトコまで行って、タクシーとか、ホテルに泊まるとか…。ただ、テツさん曰く『安く帰る方法を探しているってのに、お前は邪魔しかしない。』と言われましたけど。

悪いけど、その時の心境は、「どれがどーした?」です。もう、帰れようが、無理だろうが、どっちだっていいよ。そんなに嫌なら、羽田のロビーだろうが、駅だろうが夜明かししてやるよって意気でいましたさ。めんどくさいから。

だけど、乗り換え乗り換え、ホームを走り、なんとか終電に滑り込め、最寄り駅まで到着。その到着したそん時に、上記のテツさん発言が…!

あー、自分でもおかしいこと自覚しています。でも、今回のお見舞いで嫌っちゅー程「子供作れ~」「何で作らないの~?」と詮索されたあげく、母からも「自分勝手のあの調子の癖して、お父さんは孫は抱きたいらしいよ。」なんて話までされた、かなり神経戦の二泊三日。その締めがソレですか!?

いい加減、子供問題に敏感になっていることくらい覚えておけ!どれだけ、そういう言葉が身に付き刺さるのか、いっぺん味わってみろ!

神経過敏になるに連れ、妊娠ブログ、子育てブログが凶器に思えてきます。新聞の広告、記事に現れる少子化問題、これも私を責め立てているのか?と被害妄想的に斜め読みするくらいなのよ。

子供がいないと一人前じゃない。
結婚していれば子供の一人二人いて当たり前。

そんな風に思っていないよ、と言う人だって、絶対心のどこかのそれを持っている。自分には子供がいるから。子供が一番大事。あぁ、そうだよね。そうじゃなきゃ、子供の立場がないよね。そうじゃなきゃ、親じゃないよね。

でも、私は親じゃないもの。

『悪かったねーっ!どうせ、私には出来ないわよ!』

テツさんに駅で言われた言葉に対して、手に持っていたカバンを全てたたき投げ叫んでいました。…泣きながら。そんな時もテツさんの対応は、

『お前、…駅ももうお仕舞いで、片付けに入るんだから、迷惑かけるな。さっさと歩け。』

そういわれて、駐輪場へ追い立てられ、泣きながら駐輪場へ移動。そこで、更に大泣きしていると、『「お前なぁ…泣くなら家で泣けよ。雨降りそうだから、早く帰りたいのに。』と、ため息吐きながら、めちゃくちゃ追い打ちをかけられて、大人しく帰るようなタマじゃないんです、私は。『だったら、さっさと置いていって帰ればいいでしょ。放っておいてよ!』散々、同じコトを叫びました。何度目かでいなくなってくれて、どれだけホッとしたことか。

なーのーにー、思う存分泣いていた私の所に、一旦家に戻ったテツさんがまた戻ってきたんですよ。で、何を言った方というと、前回の記事参照。非情にうっとおしそうに吐き捨てられました。

えぇ、そこでぶちぎれましたとも。私、変なところでプライドが高いんです。例え、『他の誰もがお前を甘えかしても、厳しくするのはオレしかいないだろう。』。今更、付け足しのように言われても、私のココロには言い訳、もしくは今までの不満のぶちまけの正当化としか思えなかった。

丸1週間経って、言われて合っているところもある、だけど、テツさんに言われる筋合いじゃない。そういう気持ちでいっぱいで、未だ冷戦継続中。顔も合わさず、声も聞かず。

ずっと「病気」の幕を被っているのも、それを隠れ蓑に遊んでいるのも、「病気」を盾に薬を飲み続けるのも、その薬の量が減らないのも、カウンセリングに効果がないのも、そのため子作りに進めないのも、全部私のせい。あの夜、ハッキリ、キッパリ言われましたとも。お前に言ってやれるのは俺くらいなんだから、と意気揚々と言われましたとも。

あぁ、そうですか。私が悪いのよね、全て。だったら、悪いと言われたところを全て、文句ないように改善してやろうじゃないの。どんな手段を使ってもね。

でも、子供はごめんだ。今の関係のまま、子供なんて考えられない。周りのプレッシャーは手を変え品を買えもの凄いのだけど、この際そんなこと言っていられない。自分の卑屈な気持ちも整理できないけど、いっぱい嫉妬しまくりだけど、そんな気持ちのまま子供なんて考えられない。いいよ、テツさんにはちゃんといるんだから。それでいいじゃん。どうせ、そっちの家族とも相変わらず繋がっているんだし。私には関係ないけどね。

口火は有る意味些細なことなのかもしれないけれど、ものっすごく痛いところを突かれてしまった。が、ために未だ硬直状態を続けている。私にはそれを解くつもりはない。そんな気になれない。

許せないから?…そういう気持ちもある。
意地?…そうともいえるかも。
幻滅?…一番の味方、最後の砦と思っていたのに、一番の敵だった。それが分かったのものすごく痛手な気がする。もう、ホント、アイタタタタタ…だよ。

 * * * * * * * * * * * * * * *

【私信】Aさんへ

ちょびめーる、ありがとうございました。
これ、簡易メールなので字数制限があるんですよ。
最後まで受け取れなかったのが残念ですが、
お心はキチンと受け取らせて頂いたつもりです。
「努力は人には見えない。」
だからこそ、何を持って努力と言うのか私には分からない。
それこそ、薬を手に持って何度でも復職してればよかったのか?
それすらも分からない。
テツさんが心配してるのは知っています。
でも、言う度に、言葉が、方針が違うので振り回される。
あくまで自分で考えなくては意味がないのですよ。
つくづく思い知らされました。

後、会った方々皆揃って「疲れさせました?」と聞いてきます。
疲れを解すために無理して時間を空けて貰ったのですが…
そう思われてしまうのなら、もう会わない方がいいかもですね。
ご心配かえけてすみません。

ままならぬこと

自分のことなのに、自分の意志だけで事を運ぶことが出来ない、というのはイライラします。が、現状を考えると仕方ないのかな…と。診断書が出ている段階で、まともな状態とは扱われないのだから。

今日、産業医の先生に退職の意志を伝えました。が、返答は保留。何故なら、

  • 主治医と相談していない
  • 正常な状態での意志という判断を下す必要がある
  • 可能ならば、産業医との面談も必要

以上の点からも、退職を決めた経緯からも、承諾は出来ないと言われました。

切っ掛けは、1週間前のテツさんとの喧嘩。散々に言われましたとも。

お前は努力をしていない。薬は増える一方。減らそうと思っていない。回りの甘い言葉に甘やかされて、何もしようとしていない。原因を排除しようともしていない。カウンセリングで何を話しているんだ?全然意味無いじゃないか!

あぁ、そうですか。えぇ、そうですね。全て私が悪いんですね。だったら全てやめます。薬もあれ以来全て拒否。(眠れないのと、眠ってもうつらうつらと夢見るばかりなので、睡眠薬だけ復活させましたが。あ、後、テツさん避けも兼ねて。帰ってきた時に起きていたくないから。)全ての切っ掛けとなった仕事もやめようと、意思表示はしたけど、こちらは上記の理由で保留中。通院もやめるつもりだったけど、仕事を辞めるためには主治医との相談が不可欠なので、カウンセリングだけキャンセル。来週の通院予約は、そのままにしておきました。

売り言葉に買い言葉、という声が聞こえそうですが、これでも1週間我慢し、考えました。休職をこのまま続けること自体、前々から既にしんどくなっていたこともありますし、もう全てが面倒くさいんです。だからきっぱり縁を切りたい。今は。その思いでいっぱいです。

3日間。お義父さんの検査入院中は、そちらにかかり切りで何も出来ず。体調が悪いなぁ、という気配はあっても、二人の前ではそんな素振りを見せる訳にも行かないので、ジッと我慢の子してました。

お義父さんの退院後。疲れもあったのか、再び発熱&睡眠薬を使い始めたので(付き添い中は、日中動くため、さすがに薬は服薬出来なかったのです。だから余計睡眠不足…;)、1日中ぐったり。

そして、ようやく時間も出来、身体も動くようになった今日、恐る恐る(やっぱり言葉にするのは怖かった。)電話をして、退職を願ったら、敢えなく撃沈。…自らの進退すら己の意志では、ままならないことを知りました。

ついでに言うと、テツさんとは相変わらずの冷戦中。泣いて、泣いて、泣いて、泣き続けたあの夜から、顔も見てなければ、声も聞いていません。姿を見たら、何言うか分かったもんじゃないですから、今の私は。あの夜だって、ほっといてくれたら、そのまんま楽になれたかもなのに…。(デパス自棄のみした後、家の中に入りたくなくて、縁側で寝ました。が、目が覚めたら家の中にいました。)

全てが嫌、と言ってもお腹は空くし、全部リセットしたい、と言っても、すぐ出来るものじゃない。残念ながら生き意地は汚いようです。ともかく、何もしないとなじられるのなら、やってやろうじゃないかと、退職に向けて動き始めます。どっちにしろ、いつかは決断しなきゃいけなかったこと。今がダメ、ってことは無いはず。生活にしても、しばらくは退職金と貯金でなんとかなるはず。どっちにしろ、テツさんからは生活費受け取ってないんだから、関係ないし。(ガス・水道・電気のみ支払って貰っているけどね。)←むしろ、お義父さんたちに支えられている気がする…お買い物代金、受け取って貰えないから;

職場はね。10月の大変革に向けて、この4月からも大幅に変わっているはず。私がいたポジションだっていずれ無くなる部署に過ぎない。だったら、これを機会に、この時期だったら、いなくなってもいいかな、と。退職するにはいい年だとも思う。

この4月で丸10年。務めてそんなになります。もちろん休職期間を含んでだけど。まさか、10年目、11年目をこうして迎えることになるとは思わなかったなぁ…。

忙しいの…か?

帰ってきたその晩に大喧嘩して(現在も冷戦中)、挙げ句に熱出して(いっぺん吐いたら少しマシになった気がする)、売り言葉に買い言葉で全薬拒否してるせいで(喧嘩の種の一つ)不安定っぽい状態の中、お義父さんの検査入院に付き添っている私は、忙しいと言うべきか、バカと言うべきか…?多少見栄もあるので、お義父さん、お義母さんの前では踏張っているけど、テツさんを目の当たりにすると確実に爆発するので、今夜も別寝床だ!

やる気も気力も無いので、旅の後片付けすら出来ず、当然持ち運んだパソもそのまんま。ネットする気にもなれない今の状態は、けっこう落ち気味なのかも。幸か不幸か、今夜の晩ご飯から普通に食べられたから、ま、大丈夫だと思うけどね。ちまちま、携帯から日記(?)を打てるんだしさ(笑)

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