気付くこと
外に出ると、今日はよい天気だということ。
薬を飲むと、苦しさも悲しさもどこかへ行くこと。
癇癪で叩きつけた手のひらが、腫れていること。
パソコンが無くても、普通に暮らせること。
感情は、自分一人のものであること。
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外に出ると、今日はよい天気だということ。
薬を飲むと、苦しさも悲しさもどこかへ行くこと。
癇癪で叩きつけた手のひらが、腫れていること。
パソコンが無くても、普通に暮らせること。
感情は、自分一人のものであること。
毎日やってくるこの時間。
何が苦しいのか。
何が悲しいのか。
分からず泣いて苦しい思いをしてる。
それ以外の時間。
その時間はただ存在するだけ。
何も無い。
それがいけないの。
いてはいけないの。
どうしたらいいの。
もういやだ
もういやだ
いらない
いらない
我が家の屋根を修繕することになりました。
きっかけは、近所の家を工事していた職人さん。ウチの屋根の一部が浮いているので、実費で直しますよ、と声をかけられ、お願いしたことから始まりました。実際、屋根を見てみると、漆喰がいかれているところが多かったり、瓦が浮いていたりしているそうです。デジカメで撮影したのを、TVに接続して見せて貰いました。素人目にも、老化しているのが分かります。
で、色々修繕を頼むポイントを教えていただいていたのですが、ふと隣町で屋根の工事をしていることを思い出した職人さん。余材を使えば格安で出来るかも…と、言い出しまして、そちらの現場監督さんからOKまで取ってくれたのですよ。正直、相場は分からないものの、それまでの説明の仕方や態度から、信用してもいい方だと信じて、その場で修繕をお願いしてしまいました。
実際の修繕には、正当な仕事場である現場の手が空いた時に、こちらに来て貰うことになります。つなぎ仕事みたいな感じですね(笑)だからこそ、格安なのですが。営業さんを通さないので、その分のマージンも無かったですし、だからといって口約束ではなく、ちゃんとした契約書を交わしましたので、その点は安心です。(と言うか、営業さんより優秀な営業をかけられた気がします、この職人さんに・笑)契約書を作ってもらっている間に、テツさんに連絡し、一応OKはもらっていたので、そういう意味でも安心。
また、全部の手続きが済んでから、お義父さんにも話を聞いて貰い、書類や説明の図面等も見てもらいました。お義父さんは電気職人さんなので、ある意味この手の専門家です。その結果、相手の言っている値段も妥当だし(格安というもの妥当だそうです。)、契約書を交わしているのだから、後はその通りやって貰うだけだ、やっていなかったら文句言えばいいだけだから大丈夫、とお墨付きも貰いました。それを聞いて、ようやくホッとしましたよ。自分の家とはいえ、大きな金額が動くので、ちょっとだけドキドキだったですし。
午後は、ケーキをまた焼こうかな、と思っていたのですが、このバタバタで全部潰れました。明日こそ、シフォンケーキを焼きたいです。友人に送りたいので、今日出来なくてごめんなさい、てな感じだけど、こういう事情だからしょうがないよね;明日、頑張ります。
えーと、今まで散々いらない、いらない、と暗いことを書いてきたのですが、ちゃんと生の楽しみも享受しております。今日はそんな日。遠方の友達と会って、たっぷりお話してきました。で、行ってきたところで、少々はっちゃけました(笑)以下、写真でお楽しみください。
実は隠れハチクロファンなんですv一緒だった友達もハチクロファン。1月末までのこのハチクロ・カフェに行きたいとおっしゃっていたので、行ってきました。で、もう、人目も気にせず、パチパチ撮りまくり!楽しかったです~♪等身大はぐちゃんもいて、はぐちゃんとは、ツーショットで撮って貰いました。そして、ちょっとホッとしたり。…はぐちゃんよりは背が高くてよかったー(笑)私、ちびっ子なんで…。ツーショット写真は、顔を出す勇気は無いので、ナイショ。
ホルター心電図を外す日の朝、テツさんとこんな会話をしました。
私 「結局、発作起こさなかったから、無駄に終わったね、コレ。」
テツ「そうだなぁ。意外と着けている間、緊張してたんじゃないか?どうも、緊張した後に発作を起こしやすいみたいだからな、お前は。」
私 「んー、じゃあ、今夜駄目だったりしてね(笑)」
テツ「あぁ、そうかもな(笑)」
…えーと、大当たりでした。夜になってから、ちょっとずつおかしくなっていき、気が付いたらブルブル震えて、半分涙目。慌てて薬、飲みました。ちょーっと量を多めにしちゃったせいで、落ち着いたと思ったと同時に少しハイ状態。ラリラリだったので、ご飯作れなかったよ…;
* * * * * * * * * *
昨日、「いらない」を書いたけど、書き忘れというか補足というか。
私は自分が病気だという自覚があまり無いです。というと誤解されそうだけど、薬が必要な身体だとは思っています。が、自分の症状が今ではホンの一時であること。それ以外は、比較的健康体であること。以上から、どうしても病気なんだと思えない。それが正直なところです。
なのに仕事を休んでいる。何もしていない。罪悪感めいたものも感じている。だけど、職場そのものに恐怖感や拒否感も同時に感じている。
だからこそ、私、何してるの?と思ってしまう。
だからこそ、自分、役に立たないならいらないじゃん、と思ってしまう。
自分の存在を肯定するものを見つけられない。家にいたって、何してるって訳じゃない。むしろ、テツさんに迷惑かけまくっている。夜に発作を起こすことが多いから、ご飯すら作れない日だって実は多い。そんなんで一緒にいる意味あるの?と思う。
昔、テツさんが離婚したとき「あぁ、これで一人なんだなぁ。」って寂しく思った、と話してくれた。自分がいなければ、テツさんだって幸せになれるかも…と思うたび、この言葉を思い出すけど、最初の離婚の後に私と出会ったように、私がいなくなった後、もっとテツさんを幸せにしてくれる人と出会うかもしれない、なんてことまで考えてしまう。
そうは言っても、私のテツさん依存度は高いので、やっぱり離れることは出来ないのだけどね。でも、いらない思考は消えない。それでも消えない。
私っているの?
存在していいの?
グルグル、グルグル、そんな言葉が渦巻く。
何もしないよ、実際には。考えるだけ。だから不毛なんだけど。
止めたい。やめなきゃ、そんな考えはと思うけど、止められない…哀しい。
何もやっていないからそんなこと思うんだろうけどね。楽しいことしてる時、お菓子を作っている時、そんなこと考えないもの。仕事、しどきなのかな?もう一度復職して、それでも駄目だったら、お仕舞いにしてもいいんだもんね。また、別の道を探したっていいんだもんね。
しばらく考えたくなかった事項だけど、もうそろそろチャレンジしてみようか、これからの自分の道について。考えるだけで身体が嫌々してたんだけど、あれから2ヶ月近く経つし。
とりあえず、明日またお出かけの予定があるので、そこで大丈夫だったら、ちょっと考えてみよう。次のカウンセリングで話してみよう。
大阪から戻り、へばっていた二日間。それが過ぎたら、連チャン病院でした。それも今日でお仕舞い。一番心配だった、ホルター心電図も一応無事終了。いつもの発作(泣いたり、動けなくなったり、震えたり…)の時の心電図を取るためだったのですが、必要な時には起きてくれず、…うーん、無駄に終わった気がします。コレ、結構いいお値段する検査なので、もう1回とか言われるのはイタイなぁ。結果が出るのは26日。そして、その結果を主治医に持って行くのが31日。どうなることやら。
今年最初の通院は心療内科。まず、カウンセリングでした。
主治医の先生には、遠出はいい顔されないので黙っていたのですが、カウンセラーさんには「大阪行ってきたんですー」とご報告。文楽目当てで行って、「壺坂」と「嫗山姥」が観たかった、と素直に話しました。
というのも、私が「壺坂」にすごく感情移入してしまい、その考えからなんか抜けきらなかったから。この演目は、何度も、何度も観てきた作品。かなりポピュラーなので。でも、こんな気持ちになったのは初めてで、他話したいことがあるわけで無し、言ってしまおうと思い話題に取り上げました。
「壺坂観音霊験記」
幼い頃視力を失った夫沢市と、沢市を献身的に支えるお里の物語。働き者で器量もいいお里は、人々に評判のいい女房。だけど、沢市は目は見えないし、疱瘡のあばた顔。毎晩、どこかへ出かけるお里に、いい人が出来たのではないかと疑いを持ってしまいます。
ある晩、沢市はお里に「好きな人がいるなら、正直に打ち明けて欲しい。」と頼むのですが、実はお里は毎晩観音様に沢市の目が治るように願掛けしていたのです。それを知った沢市は、お里に謝りますが、それだけ祈願しても治らないと愚痴をこぼします。
それならと、お里と沢市は揃って、観音様にお詣りに行くことにしました。沢市は三日三晩祈願すると言って、お里を一旦家へ帰します。
沢市は、つまらない疑いを持ったことを詫び、自分が死ぬことでお里に幸せになって欲しいと願いながら、谷へ身を投げます。
一度は家に戻ったお里ですが、嫌な予感がして、慌てて寺へ戻りますが、沢市の姿が見えず探したところ、谷底に夫沢市の遺骸を見つけてしまいます。
嘆き悲しんだお里は、自分も沢市の後を追って谷に身を投げます。
そこへ、観音様が現れて、沢市の信心深さと、お里の貞心によって、二人の寿命を延ばし、更に目も見えるようにしてくれたのでした。
とまぁ、文楽には珍しいハッピーエンドのお話なのですが、私は沢市の気持ちに感情移入してしまい、すっごく落ち込むというか、暗い考えに取り憑かれていました。
あぁ、こういう方法も有りなんだ。
いらない、役に立たないなら、いなくなっちゃえばいいんだ。
私、いらないもんね。
いなくてもいいじゃん。
それに反対する自分もいました。
何バカなこと考えているんだろう…私。
そんな風に思う自分もいるけれど、いらないでしょ、と主張する自分もいる。
沢市は、目の見えない自分より、他の男と一緒になった方がお里のためだと思って、谷へ身を投げた。自分は必要ないと思ったからですよね。そこに、私は反応してしまったようで、あ、私っていらないんだよな…いない方がいいんだよな…、と舞台を観ている時からずっと頭の中でこだましている状態になりました。
でも、だからといって、じゃあ身を投げようとか、死のうとか、何か実際に行動を移そうとは思っていないの。ただ、いらない、じゃあいなくなった方がいいんだ…、と思うだけ。
中途半端な考え方だな、と今なら思う。
だけど。
働いてもいない。
子供がいるわけでもない。
なのに、家にいるだけ。
何もしてない。
こういう存在に、どんな意味があるんだろうって思ってしまう。舞台を観る前も、ときどきうっすらと考えたことはあるけれど、「壺坂」を観てハッキリ形が頭に浮かんだ感じ。
仕事。
するのが当たり前だった。
もちろん、経済的な意味もあるけど、働くのが当たり前ってずっと思っていた。
なのに今は仕事…してない、出来ない。当たり前のことが出来ない。
それって、それって存在の価値があるの?
例えば子供が出来る。育てるために仕事を辞め、育児に専念する。これなら分かる。自分も納得が出来る。(もちろん、自分の理想は、仕事をしながら、子育てもするだったけどね。)
でも、今の私って、子供…いない。出来る可能性も無い。
仕事…復帰の見通しがつかない。
今…家にいるだけ。
楽は楽です、この生活。楽しいこともある。ブログに書いているとおり、あちこち遊びに行っているもんね、私。
でも、それにどんな意味があるの?私、これでいいの?駄目じゃん、私。このままでいい訳ないよ。それにテツさん。テツさんにどれだけ負担かけてるの?一緒にいる意味ある?むしろいなくなったら、保険金入るし、家も手に入る。生活、楽になるじゃない。だったら…。
今の、この生活の、自分を、認めることが出来ない。真っ向から否定する機会を、「壺坂」を観て得てしまったような気がする。
カウンセラーさんに言われた。「以前はどういう風に観ていたの?」と。前は、何故沢市が死を選んでしまうのか?と、否定的だった。お里側の見方をしていた、気がする。でも、今は頭でそれを思い出せても、理解出来ない、理解したくないと思ってしまう。だって、私はいらない、と自分で思っているんだから、だから、自分を消してしまったんだから、と。
ずーっとね。ずーっと、こんな風に思っている訳じゃない。ちゃんと否定する自分もいる。だけど、交互に、そう、波が寄せては返すようにくるの。でも、それは苦しい思いじゃなくて、あぁ、そうなんだ、と懐に落ちてくる感じ。そうだよね、って納得してしまう感情。
あ、んー、それとも、いらないんだと思うことで、逆に肯定しようとしているのかな、今の自分を。いらない存在だから、今ここにいるんだと思おうとしているのかな。
どちらにしても、マイナスな思考だよね。でも、考えているだけだからいいかな、とも思う。さっきも書いたけど、だからといってどうこうしようとは思っていない。死を思ったことは、うーん、まぁ無いと言っておく。
カウンセリングでは当然の如く、私がこう考えているからと言って、じゃあどうしましょうとは言わない。そう考える奥を探ろうとはするけれど。ただ、話せば話すほど、自分が混乱してきたのは確か。だって、二つの考えがあるのが分かって、話しているんだもん。なんか、理屈に合わないよね、それって。ホント中途半端で変な感じでした。
「舞台に酔っているせいもあるのでは?」と、人に言われたりもした。一瞬そうかな、と思ったけど、舞台に酔う感じとも違う。それまでの気持ちを明確にする切っ掛けにはなったけど、その舞台自体には惹かれていないから。
あ、いえ、舞台としてはいい舞台でした。大夫さんも大御所を持ってきただけあって、素晴らしかったし、人形もいい動きだった。一番の目当ては、「嫗山姥」だったのに、こちらはあまり記憶に残っていないくらいには、素晴らしかった。
でも、きっと、「壺坂」を観るたびに、このことは思い出すんだろうな、とは思います。観なくてもその考えに囚われるのだから。
それと。
大阪から戻ったら、1通の郵便が届きました。今年、大きく変わる職場。それぞれの新しい所属場所を通知する書類です。それを眺めて、ここに私のいる場所はあるのだろうか…?と思ってしまいます。やっぱり、ここでもいらないよね、と。
仕事をするのが当たり前と思っていながら、仕事をする場所に自分の居場所を見いだすことすら出来ない。こっちでもあっちでも、いらない、いらない、と思いがちな自分。
そう思う自分が嫌。でも、そう思ってしまう。
そう考えるのはおかしいと思う自分。でも、そう考えてしまう自分もいる。
波と同じく、その間を行ったり来たりしています。いつか、一つにまとまるのだろうか?
13日(土)は、国立文楽劇場で文楽観劇。
見取りで観て正解。
壺坂もこもち山姥も、情緒たっぷりで世界に浸れました。
ずっと休演していた嶋大夫さんが復帰され、以前と同じく艶やかなお声を聴かせてくださり、これまた幸せ。
このために無理したようなもの。
あぁ、時間があれば明日も行きたいくらいです。
明日から大阪です。
何人か友人と会うので、お土産代わりのお菓子作りに集中すること5時間。
無事、テツさんのために置いておく分も完成。
黒豆入りパウンドケーキ。
紅茶のシフォンケーキ。(ミニサイズ)
プチショコラ。
プチショコラは、テツさんのリクエストなので、置いて行きます。他のは持っていくけど…なんだか荷物がお菓子でいっぱいになりそうです(笑)
1月も9日にして、ようやく初詣に行ってきました。
今回のお供は、同期の面々。転勤した後も、何かと気にかけてくれる有り難い同期です。私と彼等の趣味も合わないし、好みも違うし、男女の違いもあって気を遣って接してくれてるのがよく分かるのですが、それでも連絡を絶えず交流してくれるのは、嬉しいものですね。まぁ、それでも、彼等の遊びは豪快なので(海外旅行やスキー等々)、誘ってくれてもなかなか一緒に…とはいかなかったのですが、初詣くらいならいくらでもお付き合いできるということで行ってきました。
今年の初詣は、鎌倉の鶴岡八幡宮&高徳院(鎌倉大仏)&江ノ島神社でした。湘南をグルッと一巡りですね。八幡様と江ノ島神社では、みんなでおみくじを引いて見せあいっこ。吉だ、凶だ、大吉だとギャーギャー騒ぎながらおみくじを引くのも、恒例の風景。二ヶ所で引くおみくじのどちらを信じるかは、まぁ好みですが、私の場合「吉(八幡様)」と「小吉(江ノ島神社)」なので、大差は無いかと…(笑)それより江ノ島神社のおみくじに書かれていた言葉にちょっと感銘を受けたかなぁ。
今日の一日は 明日の一日との 二日分の運命を担っている
ちょっとうろ覚えだけど、こーゆー感じのことが書いてあり、今日という一日の重みを改めて感じた気がしました。今日この日は明日に続く一日だ、ということを…。のんべんだらりんと過ごしていることが多いので、ちょっと反省した瞬間でした。
そんなおまけもあった初詣が済み、帰りは江ノ島モノレールに乗って、ガタガタ揺れるスリルある車内で、ジェットコースター話。私が苦手だと知っているくせに(いや、だからか!)、乗ろう、乗ろうと誘う彼等をちょっぴり嫌いになりかけました。…ホント、苦手なんです…コースター系。
終点でみんなとお別れしました。次に会えるのはいつかな。温泉にでも行きたいね、なんて言いながら、笑顔でお別れ。現場と事務。働き続けている彼等と、休み続けている私。色んな違いはあるけど、同期という繋がりできっとまた会えるはず。その時までのお別れです。
そんなわけで、久々に運動してきました。江ノ島の階段はキツかったー;明日、身体が痛くならないことを祈るのみです!
文楽を観に行くことにしました。やっぱり後で「行っておけばよかった…」と後悔はしたくないから。それに演目的にも楽しみだから。
「嫗山姥」は前から興味のあった演目。それからもう一つ、「壺坂観音霊験記」は何度も観ているけど、住大夫さんの語りなら何度でもいいやと思ってしまう。なので、この二つを幕見で見ようかと。
次の土日で行くことにして、宿も交通手段も既に手配済み。
文楽以外にも、実はちょこっと用事もあるので、一石二鳥、一石三鳥といった感じです。文楽も1日で観きれるように美味しいとこ取りにしたし、翌日の予定もバッチリ入れたことだし、今回の大阪行きも濃ゆい日程になりそうです。
体調については…もう出たとこ勝負で、今は気にしないことにします。なるようにしかならないしね。
後は楽しみにするだけです。去年の4月以来だから、ホント楽しみだーv
かなり下剤効果がある(テツさん談)ヨーグルトケーキで年始め。
しかし、いつものごとく底が外れず、またもや底付きケーキです。
次は黒豆入りパウンドケーキにしたいなー
昨日から、大阪・国立文楽劇場で初春公演が始まりました。例年なら、この公演には行っているのですが、いつものメンバーが今回2つの日程に別れていたり、私の贔屓の(というよりミーハーに追っかけている)大夫さんが今まで休演していた事情もあり、「その大夫さんが復帰されていたら行こう。」と思っていました。
で、昨日からそわそわと情報を集めたところ、無事復帰されて舞台に立たれている様子。
メンバーの片方の日程に合わせて行こうかと思っているのですが、ここでちょっと心配事が。えーと、やっぱり体調的に不安が残るんですよね。発作が起こる確率が非常に高く、公演中に起こしてしまうのではないか?一緒に行くメンバーの前で発作を起こしてしまうのではないか?と、かなり後ろ向きな考えが、どよーんと支配しています。
とはいえ、目当ての大夫さん。これを逃したら、次の公演も出演されるとは限らない。…それだけ皆さん、ご高齢なのです。この心配もいつまでも付きまといます。ならば、チャンスは逃しちゃいけないよなぁ…とも思うし。
大変心が揺れています。
メンバーは既に宿を取っているので、今回行くとしたら宿&交通がセットとなったツアーを予約しようかと、調べは済んでいるのです。が、そのツアーは早めに予約しないといけないのですよね。期限はあと2日。
心の半分はもう行く気になっているのですが、あと一押しの部分で躊躇っています。うーん、どうしよう?
あけましておめでとうございます。
ずーっとブログを開くことも出来なかったのだけど、1ヶ月振りに書く覚悟を決めました。開くことも書くことも出来なかったのは、自分を見つめることが出来ないから。ブログは自分自身ともいえるので、逃げちゃったんですね。
カウンセリングで最初に泣き崩れてから、実家に帰ってから、ずっと調子が悪く、毎日夜になると震えや動悸、そして涙といった症状が起こってます。…それは現在進行形で。その後2回のカウンセリングも、あまりうまくいかず、2度目の時は再び泣き崩れるはめにまでなりました。
それで分かったのは、自分のこと、これからのこと、仕事のことを考えることすら拒否している自分。考えなきゃ、先のことを見据えなきゃと思うのに、思いたいのに身体から拒否される。そんな状態は苦しくて、とても苦しくて、口に出すことが出来ない分、症状として顕れていたようで、カウンセラーさんからは「しばらく考えるのをやめましょう。そんなに苦しむことはないのだから、少し休もう。」と言われ、自分自身限界を感じ、全てから休む…逃避することにしたのでした。
だから、ブログも書けなかった。開くことすら出来なかった。いや、したくなかった。
今も、これだけを書くのに胸が苦しくてしょうがないです。まだ…まだ無理みたいなんです。でも、それ以外のことなら、普通の生活を送る分には、だいたい大丈夫なのだから、せめて新年になったらブログを復活させたいな、と思っていました。
なので、リハビリ代わりに今日から再開します。
ついでに少し覚え書き。
今、もう一つ病院に通っています。というか、単に検査のためなんですけど。不整脈の疑いがあるので、心臓の専門病院で心電図検査を受けました。今度はホルスター心電図という、24時間身体に付けて検査出来る検査も受けます。ついでに、心エコーとやらもするそうです。なので、今月中盤から病院の予定がいっぱいです。
連続しているから忘れないとは思うけど一応覚え書き(笑)
今日、久々にハルと話して、今年の抱負を聞かれました。なので、ささやかな願いを託しました。身体もちょっと弱々になってきてるので、その分も。叶いますように!(ある面では願うことも無いほどなんですけどね・苦笑)
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