« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

洋服1枚にしても

制服のない仕事柄、ブラウスは結構持っています。別にブラウスって決まっている訳じゃなく、人によっては普通にカットソー着てたりしますが、私は、以前上司から「襟のある服を着るように。」と注意されたので、出来るだけ襟のあるものを…と努力してるのでした。

それでも、冬は寒いので、こっそりタートルのセーター着たりなんてこともありますが、基本的にブラウスにスカート。これが私の仕事着です。

だから自然とその反動で、プライベートではブラウスって着ないようにしています。着ても、仕事場には着ていけないようなデザインとか。(例:中華風ブラウス)着ても悪いものじゃないと思うのだけど、スタンダードなデザインのものなので、面白みがないなぁとか、仕事をしてるような気になったりするので、なんとなく避けるようにしている感じでしょうか?

そして、その分ブラウスを見ると仕事を思い出します。

8月。半月出勤しました。その間着たブラウスが、今部屋に散乱しています。洗濯するのは苦じゃないけど、たたむのは苦手な私。なので、まだハンガーに吊ってあったり、洗濯物の山の中にあったりしてるんです。なので、それを見るたびに、苦い思いをしています。

8月。復職し始めた頃、「半袖はそこそこあるし、事務室で寒気を感じるし、それに秋ももうすぐだから長袖とか七分袖のブラウス、足しておこう~」とシャツショップで、新しくブラウスを買っちゃいました。

8月。復職し始めた頃、去年のバーゲンで買った半袖ブラウス。「やっぱこういう時に着ないとね。」とウキウキ新しいブラウスを下ろしました。

そして、今。新しく買ったブラウスは新品のまま衣装ケースの中へ。新しく下ろしたブラウスは1~2回着ただけで、同じく衣装ケースに仕舞われる運命です。他の半袖ブラウスたちも同様。

それを見るたび、どうしてこうなっちゃったのかなぁ?と思わずにはいられなく、これから頑張って君たちにも活躍してもらうつもりだったのに…と、ブラウスたちの活躍の場を奪ったことがなんとも切なく、心苦しいです。

身体が元気な分。家にいると比較的安定している分、どうしても一旦納得したと思われることを蒸し返してしまう。主治医に、あんなこと言わなければ仕事まだ出来たかも、もっと気を強く持っていればこんな長期の休みにならなかったかも…。

そして、やっぱり考えてしまう。私ってホントに病気なの?怠けているだけじゃないの?行きたくないって駄々こねる子供なだけじゃないの?今は8月という季節柄、戦中戦後の番組をよくTVでやってますよね。その時代の人たちは生きるのに必死だった。どんなに辛くても、どんなに困難でも、まず生きるために頑張った。だからココロを弱らせて仕事を休んだりすることは死を意味したはず。現代だってそう。幸い、私は制度の整った所にいるから、ぐちゃぐちゃ悩みつつ休むことが許されているけれど、そんなところばかりじゃない。どんなことがあっても、仕事をしないと生活できない人だっている。そんな人から見れば、私程度のことなんて、ちゃんちゃらおかしいって思うんだろうなとか。

更には、ホントに年が明けたら仕事に戻れるのだろうか?戻っても私に何が出来るだろうか?

身体が元気なだけに、頭が色々フル回転。いらんことまで考えちゃいます。バカみたいに…。

また、来年、ブラウスにスカートの戦闘服で、仕事がしたい。職場はちょっと混乱期に突入するので、それが本当に正しいのか分からないけれど、職場にまず戻りたい。仕事の出来る身体になりたい。

また着たいよ…と思いながら、散乱しているブラウスを片づけることになりそうです。

オーバードーズ

OD(オーバードーズ)
オーバードーズとは化学物質(多くの場合、薬品やいわゆるドラッグ)を、生体のホメオスタシスがそこなわれるほど多量にまたは集中的に摂取にすることによって起こる。深刻な症状を引き起こし、死ぬ場合もある。本質的には生体における毒の作用の一例である。【ウィキペディア】より

やらかしました。もどきですけど。ピルケースに入れていたデパスを、全部一気に飲みました。なので、まだ頭が朦朧としています。

原因は二つ。

  • 休職が年内いっぱいとなったこと(12月末まで休務が必要と、診断書を描いて貰いました。)
  • 私がこんな状態(仕事に就けない・給与が減る)になったことから、テツさんが予定を前倒して退職する、と言い出したこと。

休職することについては、完全に自分ので消化は出来ていないけれど、とりあえず受け入れられることでした。しょうがないか…と。

先生にはちゃんと「出勤したい。仕事がしたい。その気持ちは変わらない。」と伝えました。それと同時に、「仕事をしてもしんどく、休んでいてもつらいのなら、もうどちらでも同じか…という心境にもなった。」ということも伝え、かつ10月以降繁忙期に入ってから復職する不安を訴えた結果、それなら繁忙期が終わるまでゆっくり休養しましょう、ということになったのでした。事前に、産業医の先生からも「長期的に休む必要があると思うので、配慮して欲しい。」と連絡があったそうですし、双方からそう言われたら、もう大人しく従うしかないですよね。

しょうがない…仕方がない…

その気持ちは消えませんが、無理することも修羅の道なら休むことも修羅の道。なら、楽な方へ今は逃げてもいいかな、と思った末の受諾です。でも、ショックですよ。ずどーんときてます。涙ながらの選択です。

が、この選択によって、あんなことを引き起こすとは思いませんでした。

実は、テツさんには借金があり、テツさんのお給料はほとんどその返済に消えます。なので、生活費で負担して貰ってるのは、電気・ガス・水道くらいかな。あ、あと「ごめん、ごはん無いの。」と言う時のご飯代と、一緒に出かける時の経費。それ以外は、一銭も私は貰っていません。それどころか、返済が厳しくなると、megmeg銀行から貸し出しを行っています。ココ、これが今回の問題点。

私が休むことによって、給与が減ると、かなりのダメージを受けます。なんといっても、お家のローンがあるので。で、そちらをともかく優先すると、テツさんへの補助が出来なくなるんですね。これが最大のネック。(そこまで甘やかす必要はない、と言われたこともありますが、テツさんが金銭面で倒れてしまったら、それこそ大変なので、そうならないよう、私も必死なんです。)

テツさんの借金は仕事上で出来てしまったもの。遊んだ末の借金では無いので、私も同じ職場に働くものとして、事情は分かりすぎるほど分かり、援助してきました。そして、その金額はハッキリしりませんが、結構な金額ではあるけれど、テツさんの退職金で全て消えることは確認済みだそうです。

なので、出てきたのが、前倒し退職案。

本当は来年の9月退職を目標に、色々準備してきました。それを1年前倒して、来月にでもやめ、借金の返済をしてしまいたい。薬局で薬を待っている間に、そうぽつりと言われたんです。

それって…わたしのせいよね?私が働けないから、そういう決断をしようとしてるのよね?

テツさんは「今までmegmegに甘えてきたのは自分だから、お前には関係ない。」と言います。でも、私がちゃんと働けて、ちゃんとお給料を貰えていたら、予定どおり来年の9月まで我慢するって言っていたじゃない!

そこでプツンと何かが切れました。往来で大泣きして、泣いて、泣いて、泣いて…、落ち着いてから、自分の鞄の中をみるとピルケースが目に入りました。あぁ、薬飲まなきゃ。1粒、2粒、3粒…、ピルケースの中の薬を全部飲むまで止まらなかった。それでも、デパスだけを選んでいたあたり、まだ理性はあったのかも。それでも、ケースの中には6粒ほどしかなかったので、その場所で眠り込みそうになっただけで済んだ。ゆらゆら漂っていて、気持ちよかったのは覚えている。そこは外だったのだけど、どうやら近くのビルの方が心配してくださって、休憩室を貸してくれたらしい。時間の感覚はないけど、2~3時間そこで休ませて貰ったのかな?その後は、テツさんに手を取られながら、家に帰りました。

死のうとかそういうのじゃない。ただ楽になりたかっただけ。消えてしまいたいと思ったけど、デパスを飲んだらハイになった経験があるので、そうなりたかっただけ。自棄になってもいただろうけど、あの時は泣くことすら辛かった。

何で?なんで、私は仕事が出来ないの?普通に、普通に出勤したいだけなのに!何が原因なの?何をすれば、出来るようになるの?

先生にぶつけても答えは返ってこない。休めば治るのか?行けるようになるのか?それすらまだまだ不安な状態で、そんなとんでもない決断を聞かされて、あぁ、じゃあ私、いなくなればいいじゃん…と思わなかったとは言わない。ただ、気持ちはそうでも、実行する勇気は無いだろうけどね。

でも、どうすればいいの?どうしたらいいんだろう…?仕事に行けるものなら、私だって行きたいよ。でも、お医者さん二人がかりで、休め、休めと言われている現状で、じゃあどうすれば行けるようになるの?教えてよ。誰か…教えてください。

選択

実は、主治医の先生から、お休み中の課題を出されていました。ただそれは、産業医の先生からも総務課長からも「ちょっと無理…」と言われ、しない方向でいたのですが、テツさんに「それをした時の状況も、診断の材料の一つになるはずだ。」と言われ、独断でちょこっとやってみました。

何かと言いますと、「毎日、職場に顔を出す。」ということです。

何故これが「無理」と言われたか?それは、お役所的な理由なんですね~。職員が休み中に職場に来て、その通勤中もしものことがあったら?職場の中で何かあったら?と、責任問題を避けたい、それだけです。

なので、そこをアレンジして、今日は単に建物だけを見てきました。

いつもの通勤時間に起きることは出来なかったので、お昼前に出発したのですが、途中までは何ともなく順調でした。しかし、乗り換えて、職場の最寄り駅に近づくに従い、心拍数がどんどん増え、もう心臓がバクバクいっている状態。駅から職場までは、やっぱり足が重かったかなぁ。

もしかしたら、最初から中に入る気は無かったので、この程度だったけど、出勤することを想定して行っていたら、やっぱり感情高ぶって動けなくなっちゃったのかな?なーんて、最悪のことを想像してしまいました。

でも。
昨日までは風邪で、外へ出る気にもならなかったから、ずっと籠もりっぱなし。突然、外へ出た影響もあったかもしれない。だから、ドキドキしたのかも。前向きに考えると、こっちですよね?

何とも判断つかないところです。

自分としては。
1週間ほど休んで思ったのは、「もう、どっちでもいいや。」という思い。ちょっと投げやりだけど、無理して出勤しても、周りに迷惑かけて、しんどく感じるし、じゃあ休みましょ、と休んでも、立ち止まる辛さを感じるし、どっちを取ってもしんどいのは同じなんですよね。なら、どちらでもいいかな、なんて思うようになったという訳。

休んでからは、風邪の症状以外、落ち着いていました。あ、職場に行こうとしないなら平気なんだ、と気づいたのもそう思うようになった理由の一つ。だって、仕事行ってた時は、家にいてもあんなに不安定だったんだもん。

ただ、やっぱりここで休んだらもう戻れない。そういう気持ちは捨てられず、そこが「休みます。」と言い切れない原因。
まだ行けるんじゃないか?この気持ちもやっぱり捨てられない。

それでも以前より、落ち着いて考えられるようになったと思う。気持ちの余裕が出来た感じ?なので、明日の通院で、どんな選択肢を選ぶことになっても、大丈夫な気がする。それをちゃんと受け入れられる。そんな気がします。

「行きたい。仕事がしたい。」

根源的なこの気持ちも残っているので、主治医の先生がこれをどう判断するか。最初に休んだ時は、「行けません。行く自信がありません。」と言って、休職することになった。

そしたら、このセリフを言ったらどうなるのか?
明日がある意味楽しみです。

いいのか悪いのか

コメントやコメント外でも、ご心配をかけたり、応援していただいたり、アドバイスいただいたりしています。本当にありがとうございます。

とりあえず今週休む、と決めた途端、風邪を引いたらしく、咳は常にげほげほ、喉は何か詰まったような感じがして、熱でちょいふらふら~っていう、いい感じにお休み日和の体調です(笑)…ホント、今は休めってことなのね;

なので、頭は働かせつつ、身体は休めたいと思います。なので、またもやですが、お返事、少々お待ちください。

再び…

お休みすることになりました。(って、既に3日休んでますが。)とりあえず、来週いっぱい。“とりあえず”ってのは、私の意地で期間を保留してもらったからです。

今、私は主治医と産業医の二人の先生に診てもらっています。そして、どちらの先生からも「少しゆっくり休む必要があると思う。」と言われました。

でも。でも、私としては、半月なんとかちゃんと出勤出来た。それなら、もうちょっと頑張れるんじゃないか?そういう気持ちがどうしても消えないんです。

何故、そこまで拘るのか?私の職場の規定で、現在私は8割分の勤務時間で働いています。その期間にもう一度病気休暇を取ると、復帰するのにまた例の支援委員会にかからなければならないのです。委員会は月1回。うまく、…うまく主治医から復職のOKを今月中にもらえても、来月の委員会にかけて、復職可能の結果通知を貰って…となると、復職できるのはどう考えても10月なんです。

昨日はまず主治医に経緯を話し、産業医の先生から「休んだ方がいいと思うけど、主治医の先生と相談してきなさい。」と言われたことも話し、その結果、今月いっぱいお休みする診断書を書いて貰いました。

そして、病院を後にした直後、今度は産業医の先生から電話があり、実は…と上記の規定について説明されました。それまで私は8月いっぱい休んで、9月からまた出勤するつもりでいたんですね。だから、それが不可能であると知った時、もうホント目の前が真っ暗になりました。8月いっぱい休むことも、正直受け入れ難かった。でも、二人の医者から休んだ方がいいと判断され、確かに自分自身も出勤できないような状態であることを感じていたので、それを受け入れた。

でも、…でも、そんな長期になるのであれば、話は別です。

私は怖いんです。今、そんなに休むことで、もう行けなくなることが。先生方にはそれが「焦っている証拠。」と見えるそうで、更には「そこで焦って出勤して、ギリギリまで我慢してダウンした時、今休んだ時より復帰は確実に遅くなるんだよ。」と言われました。

それも頭では分かる。休む必要性も分かる。
でも、私は半月は出勤できた。半分も仕事は出来なかったけど、行くことが出来た。それが、その事実に、縋り付きたい。今の私には、“出来た”事実と“休む必要性”とのギャップを、どーしても埋めることが出来ないんです。

その妥協点が来週いっぱいのお休み。来週の金曜日、主治医の診察を受ける予定です。そこで、もう一度相談、検討し、それでも休む必要がある、と判断されたら、病気休暇で休み、回復するまでお休みすることにします。でも、かすかな可能性にかけ、その翌週から出勤することができるかもしれません。その時は、普通に有給扱いにしてもらうつもりです。

産業医の先生からは、その1週間よく考えなさい、と言われました。復職して、出勤して症状が良くなっているのであればこんなことは言わないけれど、megmegさんはどう見ても悪化しているようにしか見えないから。今、無理をすることが必要なのか、休んで体調を整えることが必要なのか考えなさい…と。

でもね、一応行けてたんだよ。確かに、毎日のように泣いたり、動けなくなったりって時間はあったけど、それ以外の時間は仕事も出来ていたんだよ。ここまで来たんだよ。それを諦めるの?それを今受け入れろってのは、ツライ…すごく悲しいし、悔しい。

だから、意地を通しました。1週間の猶予を貰いました。結果は目に見えているかもしれないけど、最後まで諦めたくない。

でも、とりあえずその日までゆっくり休むことにします。体力的に消耗してるのも感じてるので。最近はちゃんと眠れるし、ご飯も食べられるし、大丈夫、大丈夫。そう、…大丈夫です。

今日はとうとう

職場に行くことすら出来ませんでした。すっかり支度まで済ませて、さぁ出ようかと言う時に、ガタガタ震えだし涙ボロボロ。寝ているテツさんに縋り付くと「お前、もう今日は休め。」と言われ、その言葉に従ったと言うわけです。

すぐに総務課長に休む旨を伝え、その後、産業医の先生と連絡を取りました。(今日まで主治医の先生が夏期休暇で、連絡が取れないのです。)その結果、先生の判断により、やっぱり少し休むことになりました。

「行きたい、って気持ちも分かるけど、もう限界でしょ。身体が拒否している状態なんだから。」

産業医の先生にそう言われ、私はうなずくことしか出来ませんでした。

明日、うまく主治医の先生に診て貰えたら主治医から診断書を、予約でいっぱいで無理ならば産業医の先生から診断書を貰い、お休みの手続きを取るつもりです。どのくらいの期間かは、まだ未定だけど…。

悔しい。すっごく悔しい。

今、色んな感情が渦巻いています。うまくまだ書けないけど、一番はやっぱり悔しいって気持ち。他の気持ちは、……整理が少しついたら吐き出せるかな?

ともかく明日、病院へ行ってきます。

3人の自分

「がんばれ。がんばれ。行けばなんとかなっちゃうかもよ。がんばって行こ。」
自分で自分を励ます(もしくは自己暗示かけようとする)自分。

「もうダメ。もーうホントダメ。しんどいよ…行きたくないよ。」
泣き言言って、へたりこみそうになる自分。

「甘えてるだけじゃん。病気じゃなくて、単に行きたくないだけ、したくないだけでしょ。」
ダメダメな自分を否定・非難する自分。

そんな3人が今同居してます。今朝は3人がケンカしながらの出勤でした。が、結果として、ダメダメ自分の圧勝で、始業前に泣き出し休憩室へ連行。少し休んだ後、本日はお休みすることとなり、すぐさま帰宅しました。

朝、起きてからおかしい感じはしていて、支度しながら泣いたり、行きたくないよう…でも行かなきゃ…と気持ちも揺らいでたんですね。はぁ、これなら最初から休んでおけばよかったです。かけなくていい迷惑をまたもやかけてしまった。

周りはあくまでも優しく対処してくれます。だからこそ、余計罪悪感が募り、申し訳なさが澱のように溜まっていくのです。(かつて産業医の先生に、こういったことを言ったら「でも、それで冷たくされたらされたで、悲しいでしょ。」と言われました。…ハイ、その通り。微妙な乙女心なのですが・苦笑)

本当に、これからどうしたらいいかな?どうするのが一番なんだろう?出てくるのはため息ばかりです。

はぁ…

出かける予定が、出発直前ちょっとしたことで私が爆発。そのまんま「行かない!」と言い張り、寝逃げしてました。未だもやもやしてます。

あんまり調子よくないしなぁ~、でも行きたいしなぁ~、と悩みながら必死に出かける準備をしているというのに、一緒に行くと言ったテツさんが着替え始めたのは、私がもう出られる段階の時。それでもう大爆発!

「なんでいつもそうなの?」
「私が準備してるの知ってて、なんで出られるって時じゃないと支度し始めないの?」
「自分が必死に出かけよう、って気持ちを高めているのに、どうしてその邪魔するのよ!」

…私ってわがまま?いっせーのっせで出かけたいていうのは、我が儘なの?

1日、寝ているか泣いてるかの休日。お義母さんが来たらしいけど、私が寝てるところまで進入してきたけど、相手できる精神状態じゃなかったので、適当にあしらい、そしてそうしたことでまた大泣きして…。下で、テツさんとお義母さんが長時間話している気配はしてたけど、何話していたかは知らない。もう、私のことは放っておいて。

何を言われても、何をされても、私のココロは乱れるばかり。もやもや、むかむか…。もはやため息しか出てきません。

寝っ転がって見た青空に、「ホントだったら出かけてたのに…。出かけないんだったら、せっかく洗濯したんだから、お外に干したかったのに…。」と繰り言しか出てこなかった今日1日。もう、ほんとに、はぁ…って感じ。あ~ぁあ。

たまには明るく

今日はテツさんとお出かけし、羽田空港第2ターミナルにある「自然式食堂餉餉(けけ)」でお昼ご飯を食べてきました。バイキング形式なので、好きなものをプレートに集めたら、こんな感じになりました。 飲み物は黒豆茶をセレクト。温かいお茶が何種類もあるのが嬉しいです。

カウンター席だったので、目の前の窓の外は滑走路。

飛行機とご飯のプレートが一緒の写真に写るなんて、空港ならではのシチュエーションですよね。

このお店は、和風の献立が多いし、味も自然式というだけあって割と薄味。だから、ここはかなり私好みだったりします。そして、撮らなかったけど、デザートにパイナップルとヨーグルトを食べたのだけど、これがまた美味しくて、これはお代わりまでしちゃった。おかげでお腹パンパンで苦しかったー(笑)それくらいナイスなお店ってことでv

そして、せっか空港まで来たのだから、やっぱりピカチュウを何かゲットしないと!ということで、携帯ストラップを新しくしました。裏はクリーナーになっているタイプです。他、ジグソーパズルも購入。出来上がったら写真撮ろうかな。

そして最後に。
ようやく手元に届いた、ピカチュウsuica。可愛くてとても使えないー(笑)

なぜなぜ?

昨日は平和だったと書きました。訂正です。家にいる時は平和じゃなかったです。

テツさんが帰ってきて姿を見た途端、涙モードに突入。玄関先からゴロゴロ懐いて、引っ付き虫になってました。スリスリスリスリしているうちに、気が付いたらポロポロ泣いていて、落ち着くまで引っ付いてました。でも、静か~に涙が出るだけだったし、すぐ落ち着いたのでたいしたこと無いと思ったのだけど、ご飯の支度しようと台所に立った途端、大波到来。声上げて泣き出し、その場にへたりこんじゃう始末。テツさんには「出来ない時は無理してするな!」と怒られるし、わんわん涙は出てきて苦しいしで、もう散々。

なんでだろ?
何が原因なの?

もう泣くのもしんどいよ。

動けなくなるのも何故?
なんで身体が強ばって震えてくるの?

どうして?どうして?って思うのも疲れてきたよ。
人の手を借りなきゃいけないのもツライよ。

産業医の先生に話を聞いて貰ってからは、以前よりは落ち着いた感じはします。でも、相変わらずこんな状態。今日も、仕事中動けなくなって、休憩室に運ばれた。自力で足を動かして移動出来たのは進歩かもしれないけど、ダメなのは一緒だもん。これまたスイッチが分からない。普通に端末使っていただけなのに。何もおかしなことなかったのに。

なぜなに坊やになった気分ですよ。(あれ、ちょっと違う?)

話してみれば

今日は昨日と違って、至って平和な1日。ていうか、なんの騒ぎも起こさず、勤務時間を過ごし通せたのって、何日ぶりだろう?!ただ、そのために、ぞわぞわする落ち着かない感覚と格闘し、かなり多めに薬を使っていたのだけど…。

その感覚は一体何なんだろう?首筋から背中にかけてぞくぞくして、落ち着かない不安な気持ち。叫びだしたい様な、泣き出したいような衝動に駆られる感覚。私が泣き出す切っ掛けの一つ、とある課長に会ってしまった時とは、また別の衝動。全く持って原因不明であり、大変やっかいなのです。

昨日話をした産業医からは、カウンセリングを勧められました。通っている病院では、提携しているカウンセリング室みたいなところがあります。なので、受けられなくは無いけれど、…うーん、どうなのかな?

昨日はホント酷い日でした。実労1時間?朝、早々に例の課長と遭遇し、泣きはしなかったものの硬直して動けなくなったため、即座に休憩室に運び込まれ、午前中はそのままそこで過ごしました。もう、何というか、ココロもカラダも限界で、震えと硬直はしばらくして治まったけれど、事務室に戻る気力が湧いてこず、また寝不足の身体にベットが心地よすぎて、そのまま眠らせて貰ったという訳です。

情けなかった。あぁ、またやっちゃった…って凄く情けなかった。一人にして貰ってから、いつもとは違う涙を流しました。で、そのまんま寝入っちゃったみたい。(泣き寝入り?)

午後は仕事に戻るつもりでいたけど、ちょっと休んだら身体に疲れがドドっときたみたいで、結構しんどかったので、午後は時間休をいただきました。そして、元々自分から産業医の元へ行こうとしていたのだけど、またこんなになっちゃった私を見た総務課長から「連絡してあるから、これから産業医の先生の所へ行ってきなさい。」って言われちゃった。毎日のように泣いては騒ぎを起こす私が、かなり心配のようです。そりゃそうだよね。

そんな調子だったので、ともかく早退して、予定どおり病院へ行き、産業医の先生とお話してきました。もうね。最初はどよどよと黒雲背負ってるくらい暗ーく話し始め、言っている内容も堂々巡りで、先生も困ったんじゃないかなぁ。

「一つは原因不明で、もう一つは例の課長が引き金で、毎日のように泣き出し動けなくなり、周りの人に迷惑をかけてしまう。そうなる自分がツライし、迷惑をかけてしまうということもツライ。仕事だってろくなこと出来ないし、騒ぎばかり起こし他の人の業務の邪魔をする自分なんか、いない方がいいんじゃないか、とまで思うけど、ここでまた休んでしまうと、もう二度と戻って来られなくなりそうで、それも出来ない。でも、職場にいること自体がしんどくてなってきてて、もうどうしたらいいのか分からないんです。」
「出勤はしなきゃいけない、と思って出来ます。でも、職場の中に入ってから、気持ちがどんどん落ち込んできて、しんどくなるんです。」
「睡眠もあまり取れず、主治医に注意されてから睡眠薬を飲むようにしているけど、やっぱりあまり眠れていない状態です。」

こんな様な話をしまして、それから産業医の先生に言われたのは、
「こういう状態だとかなりツライようだし、それに耐える力も少なくなっているようだから、もう一度お休みして力を蓄えてみてはどう?」
という、再度休職することの提案でした。

これには即座にNOを伝えました。「ここでまた休職したら、もう二度と戻れなくなるので嫌です。」と。先生は「それはあなたの思い込みよね。また休んでも、ちゃんとまた復職している人はいるんだから、そこまで思い込む必要は無いはず。」と言います。分かってる。頭では分かっているけど、でも、私には到底無理としか思えず、それには承諾できませんでした。結局、「主治医が休職する必要があると判断したら、その時はちゃんとそれに従うように!」と先生の方が譲歩してくれました。

ただ、休職という選択の他に、転勤や別の仕事(つまりが転職)で一からやり直すという選択肢も考えるように、とも提示されました。これにも色々考えがあり、お断りしましたが、今の職場、今の環境に問題があると先生は考えてのことなんでしょうね。実際、自宅療養していた時は、現に回復してきていたんですもん。それが、復職してからあっという間に悪化してしまったということは、職場に何らかの問題があると考えるのが妥当というものですよね。

確かに一つは、問題の課長がいること。彼と会うたび、姿を見るたび、泣き出してしまうのだから、新しい環境で、彼のいないところだったら、そんな状態になる可能性はその分低くなります。

でも。
でも、もう一つの原因不明の部分。コレがある限り、休職しようが、転勤しようが、転職しようが、結局は一緒としか思えず、どうしても承諾できない理由の一つなんです。

休みました。よくなりました。復職しました。やっぱりまた泣いちゃいました。

こんなパターンにならないとは言えないでしょう。

原因らしいことは一つ一つ挙げることは出来ても、それが原因とも思えない。なぜなら、泣き出したり動けなくなったり不安になったりする切っ掛けが、それらに該当しないから。とうか、切っ掛けが見つからない。何かスイッチがあるはずだ、というのがテツさんの言い分だけど、確かに何かなければそうならないと私も思う。でも、それが何かが分からない。

だから。
先生はカウンセリングを勧めてきたようです。まず、泣き出す原因を突き止める。それをしてみてはどうか?と。休むのイヤ、転勤イヤ、辞めるのイヤ、でも出勤するのツライ。八方ふさがりな私の気持ちに対する、唯一の対抗手段…なのかな?

あぁ、後、睡眠をキッチリ取るよう、また怒られました(笑)まぁ当然ですよね。

何というか、1時間半という、主治医ともこんな長時間話さないぞ、というくらい時間をかけてお話を聞いて貰い、色んなアドバイスを受けた時間でした。先に書いたとおり、最初はどよどよした暗ーい患者だったのですが、終わりかけの頃はちょっとスッキリ。時折笑いを提供しながらお話出来ました。

【例】
私 「今日は泣き出さなかったので、多少周りを感じる余裕があったのですが、動けなくなった私を運び出すみんなのスキルがアップしてるんですよ!後で気づいて、えっ?そういや役割分担もバッチリだったみたいだなぁ、と思って。どうしよう…そんなこと上達させて…(泣笑)」
先生 「いいじゃないですか!(大笑)総務課員は、他の課の人が具合が悪くなった時、運んだりしなきゃなんだし、その時の練習だと思えば(笑)」
私 「……練習に、貢献してるって思っていいですか?」
先生 「してる、してる(笑)」

年頃も私とそんなに変わらない(ヘタすると年下?)の女医さんなので、よく笑ってくれましたとも!いえ、実際は笑い事じゃないんですが、本当にスムーズさに磨きがかかってたので、話さずにはいられなかったんです。(だって、今日の今日だし。)

他にもいくつかネタを提供し笑った後(しなくていいことしてますね・苦笑)、また2週間後くらいに話しましょうということで、この日は終わりにしました。別に解決策が見つかったとか、どうにかなったとかではないけれど、病院を出た時は来た時の気持ちの重さが無くなっていたのは確か。産業医の先生と会おう、と決めたのは自分だけど、正直あまり期待はしてませんでした。職場のことをそれなりに知っている先生と話をするのは、主治医と話をするのとまた違って、ある意味特別な理解をしてもらえるから、そこには期待をかけてましたけど。でも、多少なりとも効果はあったようです。そして、それがあったから今日、平和に過ごせたのかな?

カウンセリングについては、今度の通院の時にでも相談してみるつもりです。でも病院のHPを見た限りでは、料金が高いのがやっぱり気になる…かなぁ。テツさんもカウンセリングは勧めてくれてるけど、原因を知ることの出来る可能性を試してもみたいけど、うーん…悩みます。仕事が原因とすると、職場の特殊性を考えると、専門ではないけど、産業医の先生と話している方が、その何かが分かるんじゃないか、とも思っちゃうし。それら全部ひっくるめて、主治医と相談かな?

今週はあと明日のみ。明後日はちょっとお休みをいただいたので、三連休です。明日もちゃんと行けたら、なんとか2週間は持ったということ!明日も騒ぎを起こさず、平和に過ごしたいものです。

弱音

やっぱり日が経つに連れて酷くなっている気がします。泣きうずくまる頻度が増えていて、今日は2度も起こしてしまいました。それに連れて、このままいていいのか?やっていけるのか?そんな不安も大きくなってきて…。周りへ迷惑かけることの心苦しさも大きくて…。

明日は思い切って、産業医へ相談しに行こうと思います。相談したからといって、状況が変わるわけでは無いだろうけど、このままでいるのは苦しすぎるから。

* * * * * * * * * * *

コメント、ありがとうございました。
「四日間」へのお返事だけ、もう少しお待ちくださいね。
すみません。

少し落ち着きました

昨日は、泣いて泣いて泣いて泣いて…、書いて書いて書いて…、そしてパッタリ眠り込んでしまいました。ふと目が覚めると、目の前にテツさんのおしり。そう、帰ってきたのにも気づかず熟睡していた模様。その時は、引き続きうつらうつらし、真夜中の3時くらいにようやく布団へGO。

あ、その前には、ちゃんと薬を飲みましたよ。先生に怒られたからね。土曜日だから安心、と言うわけでなく、出かける時間が遅いから大丈夫だろう、って思ったのもあったけど。結果、復職前のいつもの時間に起きることは出来ました。うーん、ちょっとは上出来?先生の言葉をちょっとは信じていいのかな?

今日は、お休みの日でなく、お世話になったエライ方の退職祝いの会へ出席しなきゃだったのです。なので、惰眠を貪ることなく、起きてシャワーを浴びて、スーツでお出かけ。気持ちは落ち込んでたけど、行かなきゃって思う方が強いので、しゃかしゃか出かけてきました。お昼に外出るのは、別の意味で辛かったですけどね(笑)←すっごい、暑かった;

会には、私がいた間、いない間に転勤した人が何人も来ていて、仕切っていた上司の配慮で、私のテーブルは親しかった人で固められていました。調子があまりよくなかったので、これはかなり有り難かったです。メル友Kくんやランさん(転勤したけど、その後もやり取りしている人)も一緒だったし。万が一のことを考えて、この二人に薬の説明をしておけたのも、安心材料の一つです。

和やかに歓談しつつ、料理を楽しみ、お開きの後はランさんとお茶してきました。ランさんも転勤先でストレスが溜まっているようで、お互いの状況をしゃべりまくり。久々に会って、こうやって話が出来るのが嬉しかったー。それだけで、ちょっと浮上するくらい(笑)前回、私がランさんのお宅訪問をしたので、今度はランさんが私の家に来てくれることになりました。幸い8月はまだ海の家もあるし、海もいこうね、って約束してお別れ。楽しみです。

家に帰ってからは、夕べはテツさんとロクに話が出来なかったので、改めて昨日のことを報告。そしたら、まぁ、先生と同じことを言われた訳ですが…

「焦ること無いよ。他のトコの人だけど、復職しても実質2時間しか仕事出来ないやつもいるんだし、そんなもんだよ、最初は。(その人は取り乱して暴れちゃうそうです。)焦るな、焦るな。」

睡眠についても、

「お前は寝てない訳じゃないけど、先生は眠る時間数を想定して出しているんだから、飲んで平気なはず。夜寝ないと持たないのは当たり前だ!帰ってから寝てるのは、あれは寝てるんじゃないから。転がってるだけだろ。」

と、諭されました。

昼間、メル友くんを始め親しかった転勤した人と話をしたり、ランさんと突っ込んだ話をしたりしただけでも、多少そういうもんだと思えるようになったけど、テツさんにそう言われて、そうだよな…焦っても仕方ないよな、とちょっとなってきたかも。

来週、もうちょっと踏ん張れるといいなぁ。

 * * * * * * * * * * *

昨日の記事でご心配かけてすみません。
そしてコメントもありがとうございます。
読ませて頂きましたし、チカラをもらった気がします。
ありがとうです。
こちらもお返事、もう少しお待ちください。

四日間

復職して四日目が終わりました。この四日間は、決して順調な日々ではなかったです。

初日。まず復職の辞令を貰いました。が、その直前、問題の課長の姿を見ただけで動揺。このときは、辛うじて堪えました。そして、実際に仕事を始めると、単純作業が主だったにも関わらず、午後にはオーバーヒート。頭が働かない状態になってました。まぁ、これは単純に疲れ…なんでしょうね。

2日目。これまた問題の課長とすれ違い。動揺はしたものの、「大丈夫、大丈夫」と唱えつつ服薬。が、少し時間が経つに連れて、話しかけられても返事は出来ず、顔も身体も強ばり始め、ついには大泣きして蹲る始末。慌てて、同僚及び上司が駆けつけ、少し落ち着くのを待って休憩室へ。ここで再度服薬。しばらく女性の上司が付き添ってくれたので、たわいのない会話を少しずつ交わすうちに、ようやく落ち着いたので、仕事に戻りました。でも、総務課の事務室から離れた場所での出来事だったので、かなりの大騒ぎになったのは確か。周りは、私がそうなる、と承知してくれているので、仕事に戻っても普通に接してくれるのが有り難くもあり、申し訳なくもあり…。この日は、帰ってからもテツさんの元で大泣きもしてます。やれやれ。

3日目。午前中、なんだか落ち着かないというか、泣きたい、叫びたいという衝動が消えず、出勤してすぐ服薬しているにも関わらず、危なそうなので再度服薬。手が止まりがち、身体も動いたり、動かなかったりの状態ながら、しばらくすると薬が効いてきたのか、普通の感覚に戻りました。この日は比較的平和だったかなぁ。

4日目の今日。最悪です。例の問題の課長のいる課というのは、かつて私がしていた仕事と密接な関係にあった課。そこへ、「課長にさえ会わなければ大丈夫だろう。」と高をくくって、用事を済ませるために自ら赴きました。が、その場所にいるだけで、どんどんおかしくなっていき、ガタガタ震えてくる始末。ともかく急ぎの用事だったので、親しいパートの方の力を借りて、何とか伝言を伝え、その場をすぐ離れました。が、既に遅し。総務の事務室に戻るため、階段を上りかけたのですが、端から見るとかなり具合が悪そうだったみたい。震える手で手すりを持ち、ちょっとずつ足を動かしていたら、先に登っていた人が「具合悪そうだけど、大丈夫?」と声をかけてきたのが切っ掛けで、一気に泣きモードに突入。泣きながら蹲り、動けなくなってしまいました。何人か通りかかり、「どうしたの?具合悪いの?」と聞いてきますが、当然答えられるはずもなく、泣き続ける私。結局、誰かが呼びに行った総務課の人が来るまで、そのまんまの状態。少し動けるようになってから、例の如く休憩室へ移動しました。この時も、かなりの人数の人が駆けつけた感じです。(周りが見えないので、私にはよく分からないんです。)

休憩室で薬を飲み、女性の同僚に付き添って貰っていたのですが、いつもの衝動が少し治まると、今度は罪悪感というか申し訳なさでいっぱいになり、ついに吐きだしてしまいました。

「私はいない方がいいんじゃないか?ろくな仕事も出来ないのに、何度もこんな騒ぎを起こし、みんなの手を煩わせてしまう。」

もちろんというか、一緒にいた人は「そんなことないよ。」と言ってはくれます。「そんなことないから、一緒に仕事しようよ。」と。

でも。
でも、ごめんなさい。信じられないんです。自分も。みんなも。

ある程度覚悟はしてました。ネックとなる人物がまだ存在していること。自分自身の中で、こういう症状を引き起こした原因を消化できてないこと。これらがある限り、必ずこんな風になってしまうと。でも、実際に泣き、動けなくなり、人の手を借りなければならなくなると、自分さえいなければこんな余計なことをみんなしなくてもいいだろうに…、と思わずにはいられない。私っていらないじゃん、って思わずにはいられない。

総務課長にも周りの人にも、まだ始まったばかりなんだし、出来なくて当たり前、焦らずいかないとダメだよ、と何度も言われました。確かにそのとおりかも。

課のみんなには、私のことをちゃんと説明していてmegmegさんを迎える準備は出来ているんだから、心配しなくていいよ。えぇ、その通り、みんなフォローもしっかりしてくれるし、ものすごく気遣ってくれている。分かってます。

でも、私はそこまでしてもらって、仕事する価値があるの?続ける意味があるの?

4日目にして、どん底に落ちてしまいました。そして、幸か不幸か今日は通院日。先生に復職してからの話をしましたが、最初から涙ポロポロ。声も途切れ途切れ。ティッシュは一袋使い果たしました。

「病気の切っ掛けとなった人が、トラウマになっているみたいだね。後、自分を責めるようにもなっているし…。でも、まだ通い始めたばかりだから、そんなに焦る必要はないからね。」

と言われましたが、自分の気持ちはそのまんま。素直に先生の言葉を聞けませんでした。睡眠にしても「朝、起きられないのが怖くて、睡眠薬やデパスを夜は飲まないようにしています。」と伝えたのですが、正直ここずっとまともに眠っていません。先生には怒られましたけど、復職したんだから通勤はしなきゃいけない、通勤するためには朝起きなきゃいけない。だから、起きられないかもしれない睡眠薬は使いたくないんです。例え、眠れなくても。でも、先生は、

「睡眠をちゃんと取らないと余計不安定になるので、薬はちゃんと飲んでください。1錠の半分なら、朝ちゃんと起きられますから飲むようにしてください!」

と強い口調で言ってきます。でも、これにもすぐには頷けなかった。

「夜眠っていないせいか、帰ってからすぐ1~2時間仮眠を取っています。だから大丈夫です。」

と私は反論したのですが、聞いては貰えず、私が了解するまで何度もきつく言われちゃいました。でも…でも、未だに不安です。あぁ、どうしよう。

何事もなければ、手は遅くなっているけど、動作も鈍いけど、なんとか言われた仕事は出来てきてます。でも、トラブルが起こった時が問題。その頻度が上がってきているので、今は暖かく見守ってくれている同僚も、そのうち見放すんじゃないか。そんな不安すら抱き始めました。

まだ4日。されど4日。
焦るなと言われても、ココロに余裕が無くなってきているのを強く、強く感じます。自分の存在を否定するのを止められるだろうか?

ごめんなさい、今は泣き言しか出てきません。

4日間で得たものは、通勤するチカラと、職場でどんな形でさえあれ時間内を過ごすチカラ、そして帰ってから料理をし、お弁当も作ることが出来るチカラ。これだけで満足出来たらよかったのにね。

 * * * * * * * * * * * * * *

コメントいっぱいいただいていますね。
ありがとうございます。
今はネガティブなお返事しか出来ないので、もう少し落ち着いたらお返事します。
我が儘言ってごめんなさい。

>ゆづきりあさん
リンクの申し出ありがとうございます。
コメントは後回しになるけど、先にリンクを繋げちゃいます。
後で確認してもらえると嬉しいです。

はんこけぃす

はんこけぃす

小物で、少しでも出勤の壁を薄くしようと、工夫中。
単に趣味なだけだけどね(笑)

これは、シャチハタを無くした代わりの百均産です。
しばらくハンコ押す仕事も少ないので、可愛いしいいかな、と思って。
出勤簿押しに活躍中なのです。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

今は携帯からが精一杯だったりします。
コメントいただいてるようですが、お返事はもうしばらくお待ちいただけると、ありがたいです。

クスリ入れ

クスリ入れ

可愛くお茶犬にしてみました。
一種類四錠ずつ入るミニサイズです。
そして、今日はこれが大活躍!
…活躍せず、可愛くいてくれるのが一番なんだけどね(笑)

トトロと一緒に

トトロと一緒に

このポーチ、ちぃっちゃなトトロをあしらってるんです。今回の出勤のため、新調しちゃった。
そして、トトロと一緒に初日終了しました。

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »