大阪から戻ってきました。
今回の目的は、入院している伯母のお見舞いです。
母のすぐ上の姉。大阪に住んでいるのですが、幼い私はその街の名前が言えず、たあかのおばちゃんって呼んでた人で、今でもそう呼んでたりします。そのおばちゃんに会うために、私はテツさんに付き添って貰い、駅で落ち合った私の母と合流し、3人で病院へ行ってきました。
おばちゃんは、私の結婚式に参列してくれた人でもあります。以前書きましたが、私の結婚式は私の両親、弟、伯母、テツさんの両親の合計8名という少人数で行ったものです。その数少ない参列者に対し、なんと私は結婚式の時の写真を送っていなかったんですよ!行く直前それに気づいたので、いい機会だと、急いでプリントアウトしそれを持参して行きました。
私たちがお見舞いに行ったとき、おばちゃんは点滴中で起きあがることは出来なかったのだけど、私が印刷したみんなで写っている写真を嬉しそうに眺め、大事に仕舞ってくれました。そして、持って行ったアルバム(写真集)も、当時を思い出しながら、にこにこしながら見てくれました。アルバムの装丁が重いものですから、私が手を添え、一緒になって色んな話をしながら見ました。笑いながら、いっぱいしゃべりました。
そして、「おっかしいなぁと思ってたんよ。写真、来ーへんなぁって・笑」「そうか2004年だったんやね。去年だっけ?」なんて、おばちゃんが言うもんですから、私も「もう2年経つんだよ。あ、でも2月29日だから、まだ半年しか経ってないけどね。まだ半年だから、こうやって写真持ってきたんよ・笑」と返したり。おばちゃんも「そうか、そうか、まだ半年かぁ~・笑」って、みんなで大笑い。あまり長居も出来ないので、それを最後に「また来るね~」と、私たちは病室を出ました。
一緒に行った母も、テツさんも、私も、ちゃんとお話しして、ちゃんと笑って、普通に病室を出ました。そして、その後、近々おばちゃんが移る予定のケア病棟を見てきました。おばちゃんには、もう時間が残されていないのです。手術も、治療も、出来ることはもう無いそうです。おばちゃんは独り身なので、ホスピス的なケア病棟へ入ることを選んだ、と聞いています。
母から初めておばちゃんのことについて聞いたのは7日。
「1ヶ月持つか分からない。今はまだ一般病棟だけど、近いうちにケア病棟に移るから、会いたかったら早めに行きなね。私は、明日明後日で行ってくるから。」と。
7日の日に、突然そう言われたのでした。だから……だから、急いで手配をして大阪へ行ってきたのです。
今なら動ける。
今ならテツさんも休みだから一緒に行って貰える。
今なら母と同じ日程でおばちゃんに会える。
何らかの采配があったような気がします。「会ってこい!」という。
そして、私に後悔させたくない、というテツさんの後押しもありました。(ちなみに、テツさんはピカチュウのぬいぐるみで、実際に私の背中をぐいぐい押してきました・笑)なので、その話を聞き、母にもう一度電話しなおし、日程を確認してから、決断しました。今なら私も行けるから行く、と。
ただ、これには多少は迷ったんですよ。というのも、私が休職していることも病気のことも、実家には黙っていたので。でも、そんなこと言っている場合じゃないと判断し、病気のことも全て告白した上で、今なら行けるから、私と一緒に病院へ行って欲しい、と母に頼みました。…さすがに、絶句されましたけどね。何で今まで黙ってたんだ、って怒られたり。
でも、そのことについても、実際に母と会うことで、ちゃんと元気なんだよ、って分かって貰えたので、これはこれでまた良い結果に繋がりました。私が母に言うのを躊躇っていたのは、そこの部分だったからです。私の身体はそれなりに元気なのに、話を聞くだけじゃやっぱりmegmegは大丈夫なんだろうか?って、心配かけるだけになってしまう。それが嫌で話さなかったんです。(かと言って、私は実家に帰る気は更々なかったので。)だから、告白してすぐ母とも会えた今回のこの大阪行きは、何重にも意味のあるものとなりました。
帰ってきてから、お義父さん、お義母さんにも報告してきたのですが、ともかく意識があるうちに会えてよかったね、と言われました。お義母さんは病院のヘルパーをしていたことがあるので、そういう患者さんを沢山見てきています。なので余計その言葉が重かったです。
おばちゃんところに顔を出してすぐ、私のことも、テツさんのことも分かって貰えた。私のことは何度も、それこそ小さい頃から幾度となく会ってるので、分かって当然!なんて思ったけれど、顔見た瞬間「痩せたねぇ~」と言われたのはビックリ。そして、テツさんにしても、会ったのは私たちの結婚式と、去年の伯父のお葬式と2度だけのはず。だけど、すぐに「○○さん(名字)、わざわざ来て貰って悪いですね~」って挨拶していた。その話をお義父さんたちにしたときも、ビックリされました。あぁ、それならホント今行っておいてよかったね、って。
うまくいけば、もう一度くらいは会いに行けるかもしれない。でも、今回が最後になるかもしれない。それは分からない。でも、後悔のない会い方をしてきたと、信じています。
でもね。でも、やっぱり、気持ちはブルー。母といるときは、大阪にいるときは、気が張っていたけど、東京に着いた途端、頭の中がグルグルしちゃって、おばちゃんが…、おばちゃんが…って取り乱し、薬を飲むハメになった。うん、今回は一人で行かなくて正解でした。テツさんがいてくれて良かった。じゃなければ、もっと早くにおかしくなっていたかも。
おしゃれで、自由で、生粋の大阪人らしいユーモアも持っている、私にとって憧れのおばちゃん。母の兄弟衆の中で、一番親しみやい人柄で、私もいっぱいかわいがって貰ったおばちゃん。外国語が堪能で、一人で世界一周の船の旅にも行っちゃうくらい活動的なおばちゃん。写真が趣味で、その旅行で撮った写真が賞を取ったときには、東京に来たからと言って、私とも横浜デートしてくれたのよ。私が高校の修学旅行で京都に泊まったとき、わざわざホテルまで来てくれたこともあったし、私が大学卒業して大阪を離れるって時には、一緒に嵐山を散策したし……想い出がいっぱいありすぎて、書いているだけで涙が出てくる。母とも一番似ているから、顔も性格もよく似ているから、まるで母がもう一人いるかのようなんですよね、私にとって。
そんな陽気なたあかのおばちゃんから、笑顔をなくさないで欲しい。1日でも長く。それだけを願いたい。それが今の私の精一杯の気持ちです。
今回はちょっとツライ大阪紀行でした。でも、まだ時間はあるし、おばちゃんとはメールも遣り取り出来るんですよ。だからその時間を大切にしようと思います。そして今日貰ったメールでは、「若くて、元気なうち せいぜい この世を楽しんでください。」と。なので、おばちゃんのお言葉どおり、自分も出来ることを楽しめるようにしてゆきます。